左義長の風景−徳島県海部町奥浦等、高知県東洋町甲浦−
  阿南から室戸の海岸線を往くと山が海岸に迫り、太平洋の荒波が崖下の海岸を洗う。幾千万年の自然の営みがリアス式海岸を生み、断崖の間隙に白砂の砂浜を形成し或いは海蝕の奇岩を生み漣痕を刻む。サーファーが打ち寄せる波頭にボードを滑らせ、夏には白砂の砂浜に色とりどりのパラソルの花が咲く。
  海岸はまた、地区の人々の生活の場。季節、季節の行事が行なわれるところ。 高知県東洋町の白浜海岸(甲浦)で、漁師が魚網を干している。その脇に「左義長(さぎちょう)」(写真左)が建ち、四方から縄で固定してある。左義長の直径は3b余。葉を残した孟宗竹の葉に色紙の短冊をつけ、笹竹で根元を囲ってある。胴の部分は空洞。「空洞に注連縄などの正月飾りを入れて焼きます。昔は、やぐらを2基つくっていましたが若い者が少なくなり、いまは1基だけ。早い時期からつくらないと間に合いません。毎年、正月の15日に行事を行ないます。やぐら周りの笹竹は、すす払いをした竹。」と、地元の人。
  左義長は正月の神々を送る小正月の行事。かつては村はずれや空き地で全国的に行なわれた年中行事だった。「とんど焼」などといい、残り火で鏡餅などを焼いた。近年、左義長の行事は廃れ、「ミカン焼」などともいわれ神社境内で行なわれるようになった。生活様式の変化等から正月飾りが簡略化されるようになり、農村部では若者の減少等に歯止めがかからず、人手を海部町の左義長要する伝統行事は敬遠される。それにしても甲浦の左義長やぐらは、雄大な太平洋負けない堂々としたものである。
  東洋町に隣接する徳島県海部郡辺りの左義長はどんなものだろうか。海部町でも、海部川右岸の河口部(写真右)や支流・母川の左岸に左義長のやぐらが立っている。小さなものはやぐらの胴周りは笹竹ではなくウラジロやコケを積み上げ、固定されている。海部郡内のやぐらは大体この様式である。海南町の大里海岸では、目下大きなやぐらの組み立て作業中であった。白砂青松の海岸に左義長のやぐらが立ち、1月15日の明け方に火が放たれる。残り火で鏡餅を焼き1年の無病息災を願う。しかし、近年では、「関係者の都合上、15日を待たず赤の日(祝祭日)に行事を済ますところもあります。」とのことである。−平成17年1月9日−

※広島のとんど(左義長) : 大火を焚き、出火のおそれもあってか、次第に小正月のとんど行事は日本の集落から消えたが、広島県下においては海浜、山間部ともに今でも盛大に行われている。とんどの形状は天部に長い笹竹を立て色紙の飾り付けをする。土佐ざかいのものと類似しているが、太田川上流部の村々のそれはやや形状を異にし、飾り付けのない簡素な造り。競うように大きなとんどが作られる。広島県の山間部では消防団組織が維持され、活動も盛んである。そうした風土が行事や祭りの存続によい効果があるのだろう。神楽の分布とも一致しているように思う。
※近江八幡の左義長