男木島−高松市-
 男木島(おぎじま)は、高松市の北、7.5キロの洋上に浮かぶ周囲5キロの島。人口240人余。隣島の女木島に近く、両島合わせ備讃瀬戸の「雌雄島」と呼ばれ、漁師の「山立て」の基準にもなっている。
  島中央の円錐形の「コミ山」(写真)の美しい山容が備讃瀬戸の多島美を一層際立たせる。山の中腹まで耕された畑でソラマメがグリーンの鞘を空に向け、「男木島灯台」に通じる道路端では小びわが僅かに色づきはじめ、木イチゴの花が野を白く染めている。
  島の人住家は島の南東部に偏り、山の斜面に密集して階段状に建っている。特異な集落を形成する島には坂道が多く、石垣の上に建てられた住家が重なり、遠目には楼閣のようにもみえる。集落に入ると、住家は、迷路のようなくねくねとした狭い小路に密集しているが、小路にチリ一つなく、高い石垣の上で三毛猫が一匹、日向ぼっこをしながら遠慮がちに歩く旅人を見守っている。-平成15年5月−
直島−香川郡直島町
直島
直島遠景
直島のつつじ
本村(直島)
崇徳天皇宮(直島)
  高松の北西、13キロの海上に、周囲十数キロの直島がある。島周りに向島、家島、柏島など大小27の属島が狭く括れた備讃瀬戸の水盤に浮かぶ。 島の西部に宮之浦港が開け、1万トン級のフェリーが四国(高松)と本州(玉野市宇野)を結ぶ。 直島から宇野まで3キロ。「宇野から岡山に出て買い物をすることが多いです。高松より近いけん・・・」と島民は屈託がない。
 彼岸の日、大槌島、瀬戸大橋がみえる日当たりのよい島の南斜面で薄ピンク色した可憐な「島つつじ(山つつじ)」が咲き始めた。まもなくウバメガシやスダジイが花をつけ、島は薄黄色の雲海に覆われる。傍らでしきりにウグイスの鳴き声が聞こえる。直島の島四国・第27番あたりの風景である。爛漫の春も近い。
  直島の北部に、「本村(ほんむら)」、その南に「積浦」地区がある。本村は豊臣、江戸期に直島を治めた高原氏の城下。昭和初期の家屋が現存する静かな落ち着いた町並み。 島内の高原寺廃寺に、3メートルほどの立派な五輪塔や石塔など高原氏の墓標群がある。廃寺跡に接し島の古刹・極楽寺が建っている。本堂脇で、木彫りの菩薩像が慈愛に満ちた表情で島を見守る。
  極楽寺の脇道から参道を登ると八幡神社。境内に貴船神社、塩竃神社の小社が祀ってある。貴船神社は八幡神社の元社。塩竃神社は製塩を行った島の名残であろう。
  神社の参道入り口の鳥居や高原氏墓標群の石塔に直島産の石材が使われている。少し赤味がかった味わいのある美しい石である。
  積浦は崇徳上皇ゆかりの地。皇位継承をめぐる後白川天皇との確執から起きた「保元の乱」に敗れ、讃岐に配流、崩御した崇徳上皇。積浦は讃岐へ向かう途中に行在所が置かれたところ。積浦の泊が浦の行在所跡に「崇徳天皇宮」(写真上,4段目)が建っている。宮の傍らで上皇の崩御後、讃岐に追慕の旅した上皇の詩友・西行法師が寄り添う。
  平成16年1月、直島で山火事があった。乾燥した強い西風に煽られ、火の手はたちまちのうちに島の北西部から東部の本村付近にまでひろがり、山林が広範囲に焼けた。「1週間ほど燃え続けました。特に2日ほどは手がつけられない状態でした。そのうち自衛隊の消防ヘリが来て、海水を汲み上げ空中から消火に当たってくれました。火の手が激しいもんで鎮火するとは誰も信じなかったです。しかし、えらいもんですな、火の手は下火になって消え始め、人家は焼けずにすみました。」と島民の声。 焦土と化した山林は、春の到来とともにやがて緑に覆われるが、山林の復元には長い歳月を要する。直島の表土は風化の進んだ花崗岩。防災工事や植林などが懸命に進められている。
  近年、直島にベネッセアイランド直島文化村が整備され、ホテル、アートミュージアム、国際キャンプ場、海水浴場などが整備され賑わっている。-平成16年3月-