讃岐の西行−坂出市王越町−
王越山  王越山(おおごしやま。標高229.5メートル、写真右)が瀬戸内海に秀麗な山容を映している。王越山の背後の峠・眞尾坂は雨月物語に登場する西行法師が庵居した坂である。
  齢50歳に達した西行法師の讃岐行は悲願の旅路であったに違いない。末法思想が蔓延し世上の混乱は極まり、今生の名残にと崇徳上皇や空海の故地・讃岐へと西行を駆西行庵居跡りたてたのであろう。
  入讃した西行は、善通寺吉原付近に庵居して空海の遺跡を巡った後、眞尾坂に庵を結んでいる。庵は坂出市王越出張所の辺りにあったらしく、出張所脇の坂を少し登ったところに記念碑(写真左)が建っている。
 京の都にはない讃岐の山容が折りなす異境に浸るうちに、皇位継承をめぐる後白川天皇との確執から起きた「保元の乱」に敗れ讃岐に配流され崩御した崇徳上皇の哀れが一層嵩じ、歳も違わず歌を通じて親交のあった上皇ゆえに、嗚咽する西行がそこにいたとしても不思議はない。
白峰御陵
白峯寺
白峯神宮(京都市上京区)
勅使燈籠
  白峰(坂出市側の五色台)山腹にある崇徳上皇陵(写真左、1枚目)に参拝した西行は、荒れ果てた御陵を前にして、”よしや君昔の玉の床とてもかからん跡はなにかわせん”と詠じている。自然の描写に優れ静かな境涯を詠う西行にしては、珍しく怒りの様相を歌に滲ませる。
  崇徳上皇の御陵の遥拝所は白峯寺(写真左2枚目)の頓証寺殿脇の鬱蒼とした森の一角にある。上皇の霊が幽霊となって現れる雨月物語「白峰の段」の舞台を彷彿とさせる情景が浮かぶようである。 御陵脇の頓証寺殿前に高松宮様参拝の記念碑がある。讃岐には王墓(宮内庁管理)が2陵あり、一つは神櫛王陵(景行帝の皇子。木田郡牟礼町所在)、もう一つは崇徳上皇陵である。
  慶応4(1868年。明治元年)年8月、坂出に勅使を迎え、崇徳院の霊代は京都に奉遷、京都の白峯神宮(写真左、3枚目)に奉祀されている。奉遷を記念して坂出港に「勅使燈籠」が建立された。港の拡張に伴い、昭和43年、燈籠は五色台を望む塩竃神社境内に補修再建(写真上、4枚目)されている。5メートルほどもある立派な燈籠である。-平成15年7月-