慶安銅札の寺(円明寺)−松山市和気町−
円明時仁王門
キリシタン灯篭
  樹林に白塀を回らせた町の一角に円明寺はある。
 仁王門をくぐると左手に大師堂、右手に鐘楼、観音堂がみえる。仁王門の正面は中門、その先に本堂がある。円明時は四国88箇所第53番札所。本尊は阿弥陀如来。
  円明寺は伽藍配置が美しい寺である。仁王門は八脚門。本堂内の全長4メートルの巨大な竜の彫刻は左甚五郎作と伝えられる。
  80年程前、慶安3年(1650年)奉納の銅製の納札がシカゴ大学のスタール教授によって当寺から発見された。スタール教授の驚きは銅の素材よりも、世界的に類まれな日本人の遍路の風に対する驚きであったろう。庶民の四国巡拝の風は江戸期に定着したとされるが、金属製の札が巡拝の験として納められこともあった。
  大師堂近くの境内に、隠れキリシタンの十字架形燈篭がある。マリアとおぼしき像が刻まれている。薩摩などでは禁制後は岩屋に篭って信仰の灯を灯し続けた人々がいたが、ここでは寺の境内でひっそりと拝まれていたのだろうか。マリアも観音と考えれは仏道に違わないのかもしれない。花が活けてある。伊予の澄んだ青空が神も仏も許容しているようにみえる。-平成17年4月-
キリシタン燈篭
 円明寺のキリシタン灯篭は、十字架の形をした笠石にマリアとおぼしき像を陽刻し、台石の上に載っている。一見、墓石のように見える。キリシタン燈篭は織部灯篭とも呼ばれ、茶室の庭に置かれたものもあるためその起源を茶の湯に求める意見もある。キリシタン灯篭は京都、九州に特に多くみられるのであるが、唐津の近松寺の茶室の庭や宮崎の飫肥藩家老屋敷の庭に置かれているものは灯籠形、福岡市の山王公園内の地蔵堂のものは笠石が生け込みになっており、また高松市近郊で見た道路端のものは場所が思いだせないのであるが道祖神のように扱われていた。熊本県本渡市には天草四郎時貞縁の殉教公園にキリシタン灯籠(写真左)が随分多くある。近年のものと思われるが彫銘などもみえる。
 キリシタン灯篭は、様々な用途があったように思うが、笠石はラテン十字形になっていること、陽刻はマリアないしガウンを着た僧などはっきしない異様な人物像が彫られていることなど共通点を括ると、それがキリスト教に関係する遺物であることは疑いの余地がない。
 茶の湯は茶器などにもともと異国趣味が認められ、そうした趣味の延長線上にキリシタン灯籠もあるように思われてならない。特に灯籠は茶の湯の世界で発展したものが少なくない点を思うとなおさらである。灯籠部を除くと、墓石にも道祖神にもなるだろう。
 キリシタン灯籠は、もともと墓石として着想され、後に茶人によって笠石に灯籠部分を載せる着想が加わったものではないかと私は密かに思ってきた。茶人が編み出したものであれば、笠石に彫銘を施すようなこともあるまい。