御年代古墳のことなど−三原市本郷町南方−
 
 
 尾道と竹原のあいだに三原の町がある。瀬戸内海のほぼ中央部に位置し、三原湾内に沼田川が注ぐ。
 沼田川は、仏通寺川、尾原川などいく筋もの支流をもち古代稲作社会を支える好条件を備えた中河川である。大河の本流域の稲作は、近世の治水、水利技術の発達を待たねばならなかった。古代の郷・里や庄園は小河川の流域や盆地に展開するといってよい。
 沼田川の支流尾原川の流域は、古墳や古代廃寺が重なるところ。この地方の豪族の奥津城かと思われるが、二本松、貞丸1号古墳、貞丸2号古墳、御年代古墳(写真)、梅木平古墳など特色のある古墳が連なっている。
 古代廃寺に横見廃寺がある。古墳を築いた氏族によって造営されたのであろうか。古保利の凡氏などの例を思うとよい。
 旧南方村の御年代古墳や旧北方村の梅木平古墳は、氏族繁栄の極点を示すモニュメント。御年代古墳は、石室に玄室が前後二室連なり、それぞれに家型石棺が安置された珍しい古墳。梅木平古墳(写真左下)は、羨道の奥行6.65メートル、玄室は、奥行6.2メートル、幅2.7メートル、高さ4メートル余。上部は持ち送りのドームを思わせる。広島県下、最大の規模を有する古墳。全国的にも最大級の横穴式古墳であろう。
 横見廃寺は、梅木平古墳の東南の山麓にある白鳳期の寺院跡とされている。古墳の被葬者が造営した寺院であろうか。出土瓦の文様が奈良の法隆寺若草伽藍跡のものとよく似ている。 −平成18年6月−

旧南方役場
 御年代古墳の南側、国道2号線との間に西国街道が通っている(写真右下)。地域の生活道路ほどの幅員しかない細道であるが、古代の山陽道を受継いだ道。沿道に旧南方村役場の庁舎(写真下左右)が残っている。庁舎は、赤瓦葺きの下見板張り、木造二階建ての和風洋館である。明治22年の立村当時に建てられたものか。昭和29年に本郷町と合併して以来、農協などにも利用されていたようであり、南方村の生き証人だ。大正、昭和初期の郵便局舎にはこのような構造の建物が多い。