和歌山
根来の大塔−那賀郡岩出町根来−
 大伝法院根来寺は、覚鑁かくばん上人の創建の寺。 大門をくぐり、参道をゆくと、大伝法堂、多宝塔の大伽藍がある。
 塔は、俗に根来の大塔(写真左)と称せられ、高さ35メートルにおよぶ。多宝塔のもととなった大塔である。大塔は、もともと弘法大師が高野山金剛峰寺を創建したときに伽藍の中心として建てた根本大塔を起源とする。密教の伝来に付してわが国に伝来したものだ。したがって、現存する多宝塔の遺構では鎌倉時代のものが一番古いが、大塔はそれに先行して存在したのである。根来寺の大塔は金剛峰寺のそれを模したものであるが、金剛峰寺に原初の塔が残っておらず、根来寺の大塔が現存する最古の大塔である。唐の型式を伝え、室町時代のものである。
 普通の多宝塔は方3間であるが、大塔は方5間である。内陣は12本の円柱を配し円形の平面を持っていて、四角い箱に丸い筒を入れたようなかたちになっている。それは、大塔の塔身が円形の単層塔であることを示し、裳階をつけて塔が出来上がったものであることをしめしている。石山寺の多宝塔は深く緩い桧皮葺の屋根に特長があるが、大塔は荘重な趣がある。実に堂々とした塔である。 

 根来寺の開祖覚鑁ははじめ高野山に在って、大治5(1130)年、小伝法院と号する小堂を建て、翌天承元(1131)年に鳥羽天皇の勅額を奉じて大伝法院に改称している。その後、大伝法院と高野山が争い、覚鑁上人は保延6(1140)年、根来山に去った。大伝法院が根来に移されたのは正応3(1290)年といわれ、上人寂後である。根来寺は、新義真言宗の大本山となったのである。 

光明殿