京都
大田和のクロツバキの記憶−与謝郡与謝野町滝−
 与謝郡与謝野町滝の山間に大田和というところがある。そこは宮津の阿蘇海に注ぐ野田川の上流にあり、江笠山(標高727メートル)北麓の山中である。土地の人が「滝のツバキ」或いは「千年ツバキ」と呼ぶツバキはこの大田和に所在する(写真左)。幹回りは3.2メートル、10メートル余の樹冠が山の斜面を覆っている。樹齢1200年。毎年、4月に真紅の花をつけ、ビロードのような質感のある真紅の花弁が美しい。遠目には園芸種にない紫がかった深く味わいのある色彩を呈し、地元ではムラサキツバキとして知られている。ツバキ科のヤブツバキ(属)である。一般的にツバキといえばヤブツバキを指すが、その花弁の色彩の相違などから滝のツバキはクロツバキの名があり、クロツバキの頂点木だという。クロツバキには侘助などにはない野趣味がありまったく美しいものだ。

 大田和は野田川の最上流部の集落だった。戸数6戸。木を育て、畑を耕し、棚田に谷水を引き米を栽培する山村の集落だった。村人はヤブツバキを植栽し、ツバキ油を搾り現金収入を得、縛り粕はジャンプ-に代用し、余すところなくツバキは活用された。春4月、ツバキの開花が農作業の始まりを告げる。幹回り3メートル余のクロツバキに牛をつなぐこともあったという。のびやかで抑制のきいた平和な生活が長く続いた。しかし丹後山地の冬は厳しい。豪雪に阻まれると、行き場を失い、子供の通学すら危ぶまれる。昭和30年代に大田和を見舞った豪雪はついに住民の離村を決意させ、昭和35年に住民の大半が里を下り、昭和46年を最後に全戸が移住し大田和は廃村になった。
 滝のクロツバキのありかを示す一筋の谷川に沿って歩くと、その両岸に築かれたひな壇様の棚田は樹木に侵食されて叢林に化し、苔むした石垣の残骸がわずかに大田和集落の痕跡を残している。ミツマタの花が鬱蒼とした小路を照らし、打ち捨てられた土蔵の脇でツバキの花が咲き、主の帰りを待っているかのようにみえる。
 近年、滝のツバキが所在する谷川の下流部に「椿文化資料館」(与謝野町滝)ができた。ツバキのいわば総合資料館であり、関係資料も豊富である。時節になると「ツバキ祭り」(平成23年は4月17日開催)が開催される。よい施設である。−平成23年4月− 

遺棄された村
 京都北山の最北部に弓削村八丁(今の京都府北桑田郡京北町)というところがあった。由良川最上流部の集落に当たり、住民は林業に従事し静かな生活を送っていたが、昭和18年、豪雪により交通が途絶。住民は飢餓に瀕し、村民全部が四散し集落が遺棄された悲しい歴史がある。北に日本海を控えた京都府下には丹後山地、北桑山地のように豪雪地帯を抱えている。私たちは町や集落を遺棄する人々の苦しみと絶望を常に忘れてはならない。