京都
城屋の揚松明−舞鶴市城屋−
城屋の揚松明
 千石山(334メートル)の北西山麓に城屋(じょうや)集落がある。集落は舞鶴湾に流れ出る高野川(流路延長約5.5キロメートル)の上流に位置し、川端に鎮守「雨引神社(祭神:水分神)」が建っている。源流をたどって登尾峠を越えると内久井(綾部市)。集落の西から真壁峠を越えると由良川。城屋は丹波界の山深いところにある。
揚松明 雨引神社は集落の対面に位置し高野川に架かる橋を渡って参詣する。橋の入口に鎌首を擡げた蛇の作り物が長々と這い、境内の広庭で高さ16メートルの大松明が天を衝いている。
 例年、8月14日は、雨引神社の‘掲松明(あげたいまつ)’ の祭日。夕刻、笹竹を巡らせた境内の櫓から福知山音頭のレコードが鳴り響き、青年会の若衆が次々と宮入り。午後8時過ぎから神社で神事が始まり、それにあわせるように、境内の舞台で青年会のメンバーが輪になって祭りの成功を祈願し、また銘々の近況などを大声で言いあって、祭り気分は徐々に高揚しているようだ。城屋には戦前、祭りに奉仕し、集落の警固などを行った若衆宿(戦後は青年団に衣替え)の伝統が残っているようであり、活気に満ちている。
 午後9時ころ、綱に曳かれて太鼓屋台がいきよいよく境内に練り込み、城屋太鼓を奉納。太短いすりこぎのような撥は、丹後一円のそれと同じ。大太鼓を二人掛かりで打ち分ける形は丹波のそれに近い。重厚な太鼓の響きが心地よい
 太鼓の奉納が終わると盆踊り。若衆は雨引神社の上流200メートルほどのところで禊をして、いよいよ掲松明の始まり。午後10時ころ、柱の先端に取り付けられた大きなじょうごの形をした松明籠をめがけていっせいに小松明を投げ入れる。小松明は長さ25センチほどの杉の割木を10本ほど束ねたもの。空中に舞い上がる小松明の軌跡が美しい(写真上)。2分、3分・・・なかなか松明籠に命中しない。時間が経過するうちに1本、2本と小松明が籠に入り始め、境内から歓声があがる。大松明は炎上し、火勢を増し、一気に燃え上がった。やがて崩れ落ち、境内は7、8メートルの火炎に包まれた(写真下)。
 火を噴く松明に駆け寄る氏子。お目当ては小松明の燃え殻。警固に制止され鎮火を待つ。小松明の燃え殻は家内安全、五穀豊穣などに利くといって護符として祀るという。小一時間ほどで城屋の揚松明は終わった。−平成26年8月14日−
崩れ落ちがた揚松明
揚松明雑感
 全国的に、小正月や盆に火をたく行事がある。特に若狭を含む近畿地方で色濃い。しかし、奈良二月堂のお水取りや京都・清凉寺の修二会は2月、愛媛の天満神社(八幡浜市川上町川名津)の柱祭りは4月等々、火祭りは必ずしも慰霊、悪霊退散を主旨とするものばかりではなさそうである。
 火祭り行事のうち長い棒(柱)を立て、その先端に松明籠をしつらえ、下から小松明を投げ入れて炎上させる行事がある。この種の火祭りは全国的にかなり広がりがある。呼び名は柱松、柱祭り、上げ松等々とさまざまである(以下、「柱松」と通称する。)。その主旨も盆の迎え火、送り火、火伏、非業の死を遂げた者への慰霊、等々実に多様であり、また祭りに付随して年占や松明の燃え殻を護符とするなど火祭り派生の利益を伝えるものもある。
 京都・舞鶴の揚松明はいわゆる柱松であるが、大蛇退治伝説に由来すると云い、祭りの勧請年(江戸時代)がはっきりしていて、古老は、「花脊(京都市左京区花脊広河原地区)でやっている愛宕火ではない、蛇神信仰(集落の氏子は雨引神社をジャガミさんと呼ぶ)のお祭りです。規模は違っていたが高野川の上下流の神社で昔は揚松明を奉納していた。」という。太地浦(和歌山県東牟婁郡太地町)の柱松明は現在、迎え火、送り火に倣って旧盆の日に2夜にわたって行われる。このように、柱松の由来は実に様々であり、柱松の数だけあるといってよいだろう。
 柱松の始原の由来もまた諸説あるかと思う。松明を用いる火祭りはおしなべて奈良二月堂のお水取りの大松明に求められるのではないかと僕は思う。お水取りは8世紀にわが国に伝来した密教行事から派生し、二月堂を火の海とする大松明はそのころから用いられ、修験道と習合しながら柱松の形式に発展したのではないだろうか。その伝習にに主導的役割を果たしたのが京都・愛宕神社の愛宕火ではないかと思う。京都・愛宕神社の全国末社は1万社近くもある。長く高い柱を立て、松明籠に火を投じるかたちは、山上で焚く火にみなすものといえる。八幡浜の柱祭り(川上町天満神社。4月の行事)は古色がよく残っていて、2メートルほどの松明を背負ったダイバン(伊予で広くみられる祭りの指揮者。ササラなどの採り物を持つ場合が多い。安芸のサンバイに似る。)が20メートルほどの柱松によじ登り、祓いを行い、松明をかがり火めがけて投げ入れる。この祭りは町を焼き尽くした大火をきっかけに斎行されるようになったと伝承されていて、愛宕火とみられる。一方、同市五反田の柱祭り(8月14日)は不慮の死を遂げた法印の慰霊祭として盆期間中に斎行されいて、鎧を着た武者風の者が小松明を投げ入れる。一見、異なるように見える柱松も、柱を立て松明を投じる基本のかたちはいずれの柱松にも共通し、その起源はどうも愛宕火にあるように僕は思っている。−平成26年8月14日−