京都
伏見稲荷大社の御田植祭−京都市伏見区深草−
 6月10日、京都の伏見稲荷大社で御田植祭が行われた。大社の神田に造られた土壇で神事が行われた後、平安時代の盛装をした4人の舞姫による御田舞や講中の早乙女らによる田植えが行われた。琴、ヒチリキの囃子に御田舞。真に優美である。田面では手甲、脚絆に菅笠姿の早乙女の緋袴が深みを増した新緑に映える。
 御田植祭の様相は、囃子や歌、田植を核とした稲作の諸作業の表現法などにつき地域地域で百態をなしている。 伏見稲荷大社のそれは中国地方で盛んな村落一統のはやし田(大田植)とは少し趣を異にし、神社差配の御田植祭の特色がよく保存されているように思う。
 古の時期、御田植祭、大田植、はやし田などの名で行われる祭は、かつては稲作の予祝儀礼として日本のいたるところで行われた。こうした米の豊作祈願は、アジアモンスーン地帯の諸民族に共通する祭である。わが国においては年の初めや田植時期に予祝儀礼として行われていたのである。
 山陰地方の古社では旧暦の正月に御田植祭を挙行する例がある。予祝儀礼の一面を示すものであろう。
 その年が良い年であったかどうかは、古来社会経済活動の中心であった稲の出来、不出来によって決まった。かんがい期にまとまった用水を必要とし、風水害の影響を受けやすい稲作は、水田の起耕から収穫までに数ヶ月を要し、日々の水管理や害虫駆除はもとより用排水路や井関の改修などいつも何かの作業に追われ、どれかひとつが欠けても豊饒を期待できない。稲作はそうした自然任せの一面と灌漑期における農民の共同作業によって成り立っている。それらの多くは降雨量や病害虫の発生など自然まかせである。年の初めや田植時期に田の神の降臨を願い、稲作に伴う諸作業を水田上に表現し、音曲を奏で、豊饒の予祝を行うのである。