京都
藤原仏の系譜

衣食住や宗教、文芸などにいたるまで、私たちは中国、朝鮮など外部から流入する文物をコピーし、追随的な嗜好への屈辱感にさいなまれながら、ときにはそれへの抵抗を示しつつ本邦特有の文化を育んできた。内外の記録の残欠から二千年余にわたって繰り返し、異国の文化をコピーし続けてきたことにつきだれも否定できないが、模倣の文化に浸りつつそれを本邦の風土に同化させ、固有の芸術やその他の文化にまで昇華させたことも知っている。具体には遣唐使制度の廃止後に出現した貞観文化や藤原文化、或いは江戸時代にあらわれた文化の諸相にその典型を感じとることができる。しかし、それらの時代は奇しくもわが国が鎖国政策をとっていた時代であった。外国との交通が遮断され、固有の文化が花開くというなんとも皮肉な歴史を繰り返したのである。仏像もまたそうした政治風土などの影響を受けながら、奈良時代から貞観時代を経て藤原時代に至ると恵心僧都や空也、法然らによって盛んになった浄土教の新局面が開かれ、仏像の作風も奈良時代の荘厳、華麗なそれから、重厚で五体の均衡を破った荒々しい作風の貞観時代を経て藤原時代に至ると次第に面相も豊かになり、絢爛の御堂に極楽浄土を再現するというインドや東南アジア、中国などにも類例のない仏教世界が創出されたのである。仏体は康尚とその子定朝によって寄木手法が完成の域に近づくと、仏所の組織化や量産化に拍車がかかり、均整のとれた定朝様のそれが広く普及したことであろう。
 道長が洛東白川に造営した法成寺の仏像を刻んだ定朝は「法橋」の名誉を得た。白川天皇の願による法勝寺など六勝寺の伽藍に定朝の仏像が途絶えることはなかったであろう。しかし、法成寺も六勝寺の伽藍のかけらも洛中から消えた。私たちは今、それらの伽藍中の阿弥陀堂に安置されたであろう九体仏など円満相をたたえた定朝仏を目にすることはできないが、たぶん定朝のそれと推認される宇治平等院の鳳凰堂や日野の法界寺阿弥陀堂、当尾の浄瑠璃寺本堂の阿弥陀坐像などによって定朝仏の面相或いは弥陀にいます内陣の空間に藤原時代という特異な時代を感じとることができるのである。大原三千院(極楽院)の御堂は後世の補修が目立つものの、当代最古の阿弥陀堂建築として注目されるべきものであろう。


平等院鳳凰堂は永承7(1052)年、関白藤原頼通が父道長から伝領した別荘を寺となし堂塔を造営した平等院伽藍の一部である。
 堂内に丈六の阿弥陀如来坐像を安置する。鳳凰堂はその東に流れる宇治川を隔て朝日山に対し、南に小丘を背負う。堂前に伝恵心僧都の作とされる阿字池を配し、宝前に平等院形の石灯籠を附置する。本殿は方3間、周囲に1間の裳層を有し、裳層の屋根は正面を破って一段高くしつらえ、角格子を楕円に抜き阿弥陀の円満相を滲ませている(写真上)。本殿内部に入ると、中央一間を仏壇として丈六の阿弥陀を安置し、折上組入天井の小壁に五十二菩薩を雲中供養のさまに掛け列ねている。外部の柱、壁とも丹塗、四方の壁に浄土曼荼羅、九品浄土を彩色で描き、扉は実相花を毛彫りした八双金具を付して荘厳を極めている。鳳凰堂は藤原時代の建築、美術、工芸の極点を示すものだ。鐘楼から聞える名鐘の音を堂内で聞くとき、頼通ならずとも人々は極楽浄土を夢見たことであろう。丈六の阿弥陀如来坐像は小壁の五十二菩薩とともに定朝作と伝えられる。阿弥陀の面相は優美、衣文流暢にして円熟の境にある。寄木造りの作法を完成した定朝は仏像の姿勢といい、諸所のバランスといい一木彫成で適わなかった均整のとれた理想の仏像を彫りだし、金箔を貼し、彩色を施し荘厳にして優美な阿弥陀彫刻の模範を生み出したのである。面相は丸みを帯び気品が漂う。飛鳥、白鳳の時代を経て唐風の作法が完成域に達した天平仏に或いはそこからやや同化の兆しがみられる貞観仏にも見出せない円満相の優美な面相は、鎌足以降、檀権を築き発言力を持ち続けた藤原氏が浄土教に帰依した新時代の遺物だ。阿弥陀三尊と吉祥天女が当代に流行した題目であった。
 阿弥陀堂に阿弥陀仏を安置する当代の風は、浄土教の影響をよるものであるが、それは阿弥陀如来にすがって極楽浄土を願う他力教である。飛鳥時代に聖徳太子が西方浄土を願い、橘夫人の念持物は阿弥陀三尊であったし、天平時代に諸国の国分寺に阿弥陀浄土曼荼羅を作らせるなど浄土教の伝統は相当古い。藤原時代には常行堂で不断念仏が始められた。その時代の人空也上人は、天慶元(877)年、ついに京に入り市井に念仏を勧め、京を出ると奥羽にまで念仏をもって遊化の執念を示した。比叡の山中では顕密教を極めた恵心僧都が往生要集をあらわし、他力念仏を唱導し、のち法然によって浄土教は大いにひろまるのであった。
 浄土教の勃興、流布は貴族の信仰生活にも大いに影響を与え、阿弥陀如来を本尊にして観音、勢至を脇持仏とする阿弥陀三尊が題目となり、阿弥陀堂に祀られるようになったのである。浄土教の信仰の風土が平等院鳳凰堂や法界寺浄瑠璃寺、三千院の阿弥陀堂を生み、金色に輝く御堂安置の阿弥陀如来の蓮糸に引かれて貴人らは極楽浄土に旅立ったことであろう。−平成19年12月−