九州絶佳選
佐賀
  川きよき佐賀のあがたの川べりに吾はこもりて人に知らゆな 
                             <斉藤茂吉>
 天山の東方の山懐に古湯がある。有明海に注ぐ嘉瀬川の上流にひらけた山中の温泉郷である。そこは、この町の西方、数キロのところに天衝舞で知られる市川集落が所在し、鉦浮立が伝わる当地古湯などとともに、喜瀬川流域のいわゆる浮立文化圏の一角を占めるひなびたところである。
 川の瀬に秋風が吹きはじめ、浮立の鉦の夜鳴らしが聞えるころ、このささやかな温泉郷に投宿した茂吉は、標記のうたなど38首を詠じ、大正9(1921)年10月3日まで3週間ほど滞在し古湯を後にしている。茂吉38歳。幽遠の里は病を得ていた茂吉を喜ばせた。長崎医専教授であった茂吉は、翌大正10年、欧州留学へ旅立っている。もうひとり、「海の幸」などの作品で知られる洋画家の青木繁は明治43(1910)年に古湯を訪れている。放浪のうちに病を得て瞑目。28歳半ばの奔放な鬼才であった。「温泉」(又は「水浴」の題あり)は古湯滞在中の作品といわれる。渓谷が岩を食み、カジカが鳴き、シーズンには天然の石楠花や山茶花が咲いたという温泉郷、古湯は背振の賜物であろう。近くに熊ノ川温泉、川上峡などがある。−平成17年4月-