九州絶佳選
佐賀
霊仙寺残影-東脊振村松隈-
 脊振山(標高1054b)は、福岡の英彦山、大分の六郷満山とならぶ九州の山岳仏教文化の聖地。8世紀初頭の和銅年間に元明天皇の勅を受け、湛誉上人が開山し霊仙寺があったところ。
 霊仙寺は平安時代から鎌倉時代には脊振千坊といわれ天台密教の拠点として栄え、山腹一帯に堂宇が建ち並ぶところだった。江戸時代には鍋島藩の加護を得たものの、室町時代以降は急速に力を失い、明治5年に閉山に至っている。
乙護法堂。左手は「日本最初之茶樹
栽培地」の石碑、右手は茶の木の古
木。
 脊振山地を越えると福岡県。博多は霊仙寺の真北に当たる。寺の近くを筑前街道が通っていて、当地は国境の要衝地であり、しばしば戦乱、兵火に見舞われることが多かった。寺院の立地が寺の衰亡にも少なからず影響を与えたのであろう。今は、脊振の松隈の地に乙護法堂おとごほうどう(1852年建築)を残すのみである。堂宇の石垣、湧水の在り処を示す霊水石(バン(梵字、金剛界大日如来)を彫った板碑)、石塔群、経塚が脊振の山腹に往時の影をうつしている。
 1191年(建久二年)、唐から帰った栄西は一時期、霊仙寺石上坊に住して茶を栽培したと伝えられている。乙護法堂前に「日本最初之茶樹栽培地」の石碑が建ち、一抱えほどもある古木や山の斜面に茶の記念樹が栽培されている。
 霊仙寺跡の西、千石山(528b)の山腹に群生するサザンカ(写真左)は、北限の自生地。秋のころ白い花が満開になる。−平成17年11月−


堂宇の石垣

霊水石