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佐賀 |
吉野ヶ里遺跡−神崎町、三田川町− |
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脊振山地から張出した小さな尾根がなだらかな斜面をすべるように南にのびる。尾根の東西を田手川の本支流が流れ筑後川に流入する。有明海を望む丘陵上に吉野ヶ里遺跡はある。
吉野ヶ里遺跡は古くから周知の遺跡として知られていたが、世の中の脚光を浴びるようになったのは、十数年前、この丘陵の開発に伴う発掘調査が行われ、大規模な環濠集落跡や墳墓が発見されて注目を浴びるようになってからである。以来、累次にわたり発掘調査が行われ、吉野ヶ里遺跡は40ヘクタールを超える広大な環濠集落跡であり、福岡の前原遺跡に匹敵するほどの広さがあり、青銅器鋳型や墳墓から舶載鏡(中国鏡、写真左)が出土するなど、王がいた弥生時代のクニとして認識されるようになった。いま、環濠や物見櫓、竪穴式住居、倉庫群、北内郭の高層住居など弥生の国を広範囲に復元するという画期的な事業が行なわれている。
吉野ヶ里遺跡は、弥生時代のクニの枢要部の構造や住区、墓制の変遷等につき、九州のクニを模式的に理解するうえで大変、好都合な遺跡である。丘陵を剥ぐようにこれほど丹念に、正確に復元された遺跡は全国にも比類がないであろう。大変良い施設である。
ローマは古代文化の断片を石が語りかけている。しかし、私たちの祖先は、木の文化を選択したため、故地に文化の痕跡を残すことはなかった。しかし、土中にささやかな柱穴跡や軒下に雨だれ跡などが残り、こうして私たちは古代のクニを眺めることができる。物見櫓に登ると、遥か東方には、筑後川や矢部川流域のクニグニの民家から煙がたなびき、眼下の有明海には帆をあげた交易船が浮かんでいたことであろう。−平成17年9月− |
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