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佐賀 |
伊東玄朴旧宅−神崎町的− |
筑後川の支流・城原川の上流に的という在所がある。脊振山の南麓の山懐にある。近くに九年庵、仁比山神社などがある。1800年(寛政12年)この谷あいの農家で近代西洋医学の父といわれる伊東玄朴が生まれている。
玄朴は長崎の鳴滝塾でシーボルトに師事し、江戸に出て蘭方医を開業しジフテリアの治療に成功するなど大きな業績を残した人であるが、佐賀藩主鍋島直正の御匙医を務めたとき牛痘接種を進言し、藩主の長男淳一郎、長女貢姫に接種しいずれも成功を収めるという近代医学史上の大きな業績を残している。後に、第13代将軍家定の奥御医師になり、西洋医学所(東京大学医学部)を創設し、明治4年に没している。享年70歳であった。
玄朴はこの谷あいの旧宅で23歳まで住んでいる。住宅は、寄棟萱葺で四方に桟瓦の下屋根をまわし、棟のがっぷりに尾崎焼きの瓦が用いられている。8畳2間、6畳、3畳の間取りで、上がり口に出格子半坪の板の間がある。まことに簡素な造りの住宅で、この偉大な医学者は育ったのである。秋の日、裏庭でクロガネモチの木が赤い実をつけている。−平成17年11月− |
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伊東玄朴旧宅 |
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シーボルト鳴滝塾(長崎) |
跡地 |
シーボルト記念館
(鳴滝塾跡地傍) |
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