IMARI。伊万里の周辺で生産された陶磁器は伊万里港から積み出され、遥か欧州にまで運ばれた。伊万里港から積み出される焼き物は、有田焼や唐津焼を含め伊万里焼と呼ばれることもあった。
伊万里は、青磁を産み、白磁を産み、生活雑器から茶人など数寄者好みの焼き物に至るまで陶磁器の主産地。今日においても伊万里は、陶磁器に選択的な輝きを放ち続けている。
藩政期においては、伊万里焼は鍋島藩の藩窯で生産された。技術の流出を防ぐため、藩窯の入り口には関所が設けられた。朝鮮半島出身の工人たちによって伊万里川の支流の谷で、伊万里は焼成されてきたのである。谷の背後は、余人の侵入を阻む屏風のような断崖が連なる山岳地帯。まさに秘窯の生産に格好の場所で、よい陶土を得て伊万里焼は藍鍋島、色鍋島、鍋島青磁の名品を生み出し精彩を放ってきたのである。
秘窯の伝統は、大川内山で連綿として続いている。窯元は30軒余にもなるという。秘窯の里にはいると、道路の両岸に焼き物が所せましと陳列されている。道路からわき道に入ればまた窯元がある。坂になった道路ごしにみえるとんご山の奇観が、秘窯の所在を告げている。
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