九州絶佳選
佐賀
伊万里・秘窯の風景−伊万里市大川内山−

 IMARI。伊万里の周辺で生産された陶磁器は伊万里港から積み出され、遥か欧州にまで運ばれた。伊万里港から積み出される焼き物は、有田焼や唐津焼を含め伊万里焼と呼ばれることもあった。
 伊万里は、青磁を産み、白磁を産み、生活雑器から茶人など数寄者好みの焼き物に至るまで陶磁器の主産地。今日においても伊万里は、陶磁器に選択的な輝きを放ち続けている。
 藩政期においては、伊万里焼は鍋島藩の藩窯で生産された。技術の流出を防ぐため、藩窯の入り口には関所が設けられた。朝鮮半島出身の工人たちによって伊万里川の支流の谷で、伊万里は焼成されてきたのである。谷の背後は、余人の侵入を阻む屏風のような断崖が連なる山岳地帯。まさに秘窯の生産に格好の場所で、よい陶土を得て伊万里焼は藍鍋島、色鍋島、鍋島青磁の名品を生み出し精彩を放ってきたのである。
 秘窯の伝統は、大川内山で連綿として続いている。窯元は30軒余にもなるという。秘窯の里にはいると、道路の両岸に焼き物が所せましと陳列されている。道路からわき道に入ればまた窯元がある。坂になった道路ごしにみえるとんご山の奇観が、秘窯の所在を告げている。

 西日本ではカラツ、東日本ではセトモノと呼ばれた焼き物は、そのまま両者の焼き物の商圏をあらわしているようにも思われる。京都、大阪辺りは両者の混在地域というところであろうか。四国はカラツ屋というところが多いようである。
 戦後しばらく、毎年決まった時期に三輪トラックで農村部にやってきて、陶磁器を売リ歩く人々がいた。飯茶碗を両手に持ち、打ち合わせた高い金属音を奏でながら、村中を「チャワンやチャワンや、めちゃくちゃの大安売りや・・・、隣近所誘いあわせてきてちょうだい・・・」と触れ回り、商店の軒下などで裸電球を吊るした臨時店舗で陶磁器を売る風景が残っていた。農村の夏の風物詩だった。茶碗屋は、むろん天目や青磁は持参していないのであるが、必ず良品の陶磁器をいくつか揃えているのが常だった。店じまいのころになると、決まってお茶を嗜む者がやおらやってきて、茶碗屋との間で交わされる値段交渉が夜更けまで続いたものだった。茶碗市には、たぶんにお祭り的な雰囲気もあった。