佐賀県大川市に小保という肥後街道の宿場町がある。通りの町屋や家並みに宿の雰囲気が漂う町である。
この町の一角に国境石が残っている。国境石は、通りの道端に28個ならんでいて、石のなかほどに板を通した穴があけてある。柳川藩と久留米藩の両国を分けた石である。
境界石のある通りの北側は久留米藩。背中合わせの両藩の通りをつなぐ道は鍵の手状になっていて、はなはだ不便と思われるが、当時の藩境の緊張感や宿場防衛の知恵がそのまま反映されているのだろう。香川県の多度津藩の街割りに似たような構造のものがある。
小保の通りに柳川藩小保の別当職、後に大庄屋を務めた旧吉原家住宅(写真下)がある。主屋は、大壁造りの重厚な概観を備え、天井板などにクスの大材が用いられ、座敷周りに北山杉が使用されている。桟瓦葺きの御成門は藩の公用や幕府の巡検使を迎えるために設けられたもの。主屋は1825年(文政8年)の建築である。大川大工の技量を示すよい造りである。
旧吉原家住宅から少し東に入ったところに、同家の分家筋の町屋住宅や柳川藩の本陣の寺歴をもつ法泉寺などがある。
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