九州絶佳選
佐賀
有田焼(李参平)-有田町-

泉山磁石場
 慶長三年(1598年)、文禄・慶長の役が終わると九州の諸大名は、朝鮮半島の陶工がいなくなるほど多くの陶工を日本に連れ帰った。豊臣秀吉の朝鮮出兵は朝鮮半島と日本の歴史に何の利益ももたらさなかったばかりか、秀吉の末期の哀れを増幅し、家康の天下統一に格好の便宜を提供したに過ぎなかったが、半島から伝えられた製陶の技術などが有田で熟成し皮肉にも古伊万里、柿右衛門、鍋島と称される三流を産み、日本の「やきものの故郷」となったばかりか、欧州の人々を熱狂させた「IMARI」となって大西洋を越えたのである。
 鍋島直茂が連れ帰った多くの陶工のうち李参平(金ケ江三兵衛)と深海氏を名乗った宗伝が有名である。李参平は陶土を求めて肥前を転々とするうちに、有田の泉山(写真上)に良質の白磁鉱を発見し、磁器の生産に取り組むようになる。これが後に、古伊万里、柿右衛門、鍋島の三流を産み、有田は日本における磁器発祥地といわれるようになるのである。泉山磁石場近くの石場神社の境内に李参平像(写真左下)が顕彰され、蓮華石山山頂に陶祖李参平碑がある。陶山神社の陶製の鳥居や燈籠(写真右下)などの陶作品も必見だ。
 有田駅近くの沿道に500店舗ほどの店が出て有田が陶都の名をほしいままにするのは、陶器市が開かれる5月のころである。−平成17年6月−
李参平像(石場神社) 陶山神社