九州絶佳選
佐賀
鳥羽院というところ−脊振村鳥羽院−

 有明海に注ぐ嘉瀬川の支流名尾川のそのまた支流山田川の最上流部に、鳥羽院という在所がある。脊振山地の南麓のヤツデの葉のように入り組んだ谷あいの集落である。鳥羽院という名から、承久の乱に破れ隠岐に配流になった後鳥羽上皇の名を連想するのであるが、あにはからんや隠岐を逃れた上皇は、当地に移り住み1239年(延応元年)に崩御されたという伝説がある。上皇ははじめ教心寺の裏山に葬られたが、集落の小高い山上の塚に移されたと伝えられる。塚は後鳥羽山陵と呼ばれ、山陵付近一帯が公園になっていて、眼下の後鳥羽神社が時の移ろいを包み込んでいるようにみえる。
 後鳥羽上皇伝説は、当地が隠岐の領主西川家房の知行地であったことに由来する。家房は隠岐から密かに舟を漕ぎ出し、上皇は当地に遷幸されたと伝えられている。秋というのに公園に桜の花が咲き、花びらの白が紅葉に映えている。
 ひっそりとした後鳥羽神社の境内に佇むと、滝音が悠久の時を告げ杉木立の間隙に淡い秋の日が移ろっている。境内の紅葉は11月中下旬が見ごろという。−平成17年10月−


後鳥羽神社

後鳥羽山陵