富山ノートNO7
ヒスイ海岸(富山県朝日町)
画像(ヒスイ海岸から親不知を望む) 富山市の東方、越後との県境に「ヒスイ海岸」がある。砂浜が徐々に狭くなり親不知の切立った断崖が越後と越中を分けている。
 北陸本線が全通する以前、旅人はこの難所を避け、魚津から汽船で越後に向かった。
 親不知の断崖に刻み込まれた細い道は睡魔を断つ。道路は断崖のなかほどを地形なりに蛇行を重ね、親不知が今も難所であることには変わりがない。高速道路の開通によって安堵するドライバーが多いのもうなずける。
 ヒスイ海岸の護岸に立つと、浜辺でヒスイを拾う人が見える。棒先に小さな籠を括った柄杓のような道具で、石を選別しながら器用にすくい上げている。極意を尋ねると、「ヒスイ探しは海底が荒れる冬場がよく、海浜に打ち上げられるヒスイの数も多いですね。富山市内で働いておりましたが昨年会社を定年で辞め、毎週ここでのんびりヒスイ探しをしているんですよ」と言って、やおらポケットからヒスイの原石。かまぼこ板の半分ほどの艶のあるグリーン色の原石だった。 −平成14年2月−
雄山神社・姥堂址・千垣集落(富山県立山町)
画像(布橋) 画像(姥堂址)
 常願寺川峡谷の右岸沿いの道を往くと、立山の手前に「千垣集落(ちがきしゅうらく)」がある。集落を通る道路の左手に「雄山神社(拝殿)」、道路の右手の小道を少し下ると「姥堂(うばどう)址」(写真右上)がある。千垣集落は立山の山岳信仰の施設が随分多い。立山信仰の中枢部である。
 雄山神社本殿は、標高3000メートルの雄山頂上にある。気象条件や体力の問題などから本殿参拝が果たせない人への便宜も考慮してこの地に拝殿が置かれたものであろう。また、山はその頂上より麓から眺めると、一層神々しさが増す場合も往々にしてあるだろう。白山の室堂にある白山神社の拝殿も、雄山神社のそれと似たような配慮から設けられたものであろう。
 雄山神社(拝殿)に参詣し、近くの喫茶店に入る。中央にしゃれた大きなまきストーブが置かれ、壁際や奥のフロアーには立山を主題とした大小の写真が随分ある。即売もされているので、コーヒーを味わいながらゆったりと品定めをし、立山の雰囲気に浸るのもよいだろう。
 喫茶店を出て、谷道を下ると目に沁みるような朱塗りの「布橋」(写真左上)がみえる。橋の向こうに姥堂址があるが、身の丈ほどの深い雪に覆われている。天を仰ぐと剣岳、雄山、弥陀ヶ原が目前に迫ってみえる。
 土地の方に伺うと、かつては、全国各地から当地に集まった若嫁さんが、白装束に身を包み、おんばさまに導かれ現世と霊界を分つという布橋を渡り、姥堂にこもって昼夜を分かたず修行したとのことである。おんばさまは、若嫁さんに血の池地獄の説話などを夜っぴて口説いたという。硫黄で染まった立山の地獄谷の風景は、そっくり血の池地獄にみえる。夜が明け、板戸を開くと朝日に輝く霊峰が目に入る。涙しない若嫁さんはいなかったという。立山は、霊山なのである。
 千垣集落はいま、雄山神社、資料館それにしゃれた喫茶店などもあり、今昔が入り混じる不思議な空間に彩られている。 - 平成13年2月
松川(富山市)
 冬の頃、富山市磯辺の松川の土手をぶらりぶらり40分ほど川なりに歩くと城址公園に至る。桜の花見でにぎわった季節とはまた違った味わいがある。さわやかな冷気が漂い、寒椿の梢に見え隠れするメジロのさえずりが春の兆しを告げている。
 富山市内には、野外に随分多くの彫刻が展示されている。松川沿いは無論、公園や県民会館などの公共施設や金融機関の店先などにも有名、無名の作品がその技量を競うように展示されている。彫刻の伝統が息づく街の川べりを散策するのもよいものである。 −平成13年2月−
画像(松川)
松川
画像く彫刻)

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