若狭ノート
若狭の御仏(羽賀寺)−福井県小浜市羽賀−
 JR小浜駅の北、4キロメートルほどのところに羽賀寺がある。位牌堂の左手の山道を往き、両端に巨木が生い繁る石段を昇り詰めると本堂。寺は霊亀2(716)年、行基の開創と伝えている。室町以降は朝廷の勅願所として栄えたという。
 現存の本堂は文安4(1447)年、勅命により安倍康秀が再建したもの。5間6間の入母屋造り、桧皮葺、1間の向拝を設け、正面に3間の蔀戸をしつらえている。明通寺の本堂とよく似ているが、中備えは蟇股でなく蟇束を用い、頭貫木鼻や肘木に禅宗様のくり型をほどこすなどすっきりした室町様の細工がある。
 堂内に入ると厨子に十一面観音が安置されている。桧材の木心乾漆の御仏で、緑青、朱などの極彩を残している。像高146センチメートル。戦前までは秘仏であったらしいが、住持の方針もあり近年は開扉されていて、私たちはこの優美な御仏を拝むことができるようになった。目を見張るような入母屋造り、本瓦形板葺の1間厨子も立派なもの。明通寺しかりで若狭の寺は御仏とともにその厨子も必見である。
 さてこの十一面観音、見れば見るほど特異で、これが一時代を為した貞観仏ではないかと思うほど異端を禁じ得ない。貞観仏はその時代区分である9世紀に流行った造像の特徴を示すのであるが、羽賀寺のそれは10世紀前半の像仏とみられることから少し、まだ貞観仏の面影を残していたとしても何の不思議もない。異様に大きな天冠台、小髻から伸びた小面と特異な容貌、くびれた腰と量感的な胸部等々…それらの特徴は仏師が新時代を求めて羽ばたいた貞観時代の移ろいではないだろうか。優美な顔立ちも次第に厳しくなってゆく。多田寺の奈良末から平安初頭ころと推される十一面観音の顔だちと比較されるとよいだろう。厳しい顔立ちは来たるべき末法を見据えた修験の姿であるのかも知れない。若狭には、何層にも折り重なってよい仏像が埋もれている。−平成25年12月−
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