砥部は、「砥部焼」で全国に名の知れた焼物の一大産地。かつては障子山山麓一帯で採掘された陶石は、麓を流れる砥部川の水車で砕かれた。最も多い時期には48基あったといわれる水車も、今は川登水車1基(登山窯の太鼓水車、写真右)。明治中期に築造されたものという。水車は、車の両側に複数の臼が設置された重厚なもの(写真左下)。太鼓水車のルーツは肥前といい、砥部に伝わったのは嘉永元年(1848年)。
砥部はもともとその名のとおり砥石の産地。筑前から技術を導入し、その石くずを粉砕して磁器を焼くようになったのは安永6年(1777年)といわれる。大洲藩は、砥部から納付される冥加・運上金で潤ったという。
砥部川の川登水車から少し下ったところに坪内家住宅(写真右下) がある。御成門を備える庄屋住宅である。 砥部焼伝統産業会館や陶祖杉野丈助の碑の建つ丘などはぜ訪れたいところだ。−平成17年8月 |