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善通寺は、四国88箇寺第75番札所。「空海」の生誕地である。京都の東寺、高野山とともに三大霊場のひとつ。寺域は広大。七堂伽藍は空海が修行した唐の青龍寺を模したものとされている。
善通寺の寺域は、金堂、五重塔(写真左)など伽藍のある東院と御影堂などのある西院に分かれてある。
新緑がしたたる境内の光の中を巡拝者が行き交う。金堂前で読経する人、傍らで記念写真に納まる人などでずいぶん込み合っている。
空海は、「お大師さん」として崇敬される仏教界の巨星。国内の統治機構を整えアジア世界に日本のいわばデビューを飾った「聖徳太子」や近代日本の扉を開いた西郷隆盛らとともに、いつも日本人の心の中に住み続ける英雄の一人。
空海は、書の三蹟と賞せられ、唐では五筆和尚と評された。絵画や彫刻はもとより、讃岐の満濃池の修築など土木・建築などにも大きな業績を残した。庶民の空海への熱い想いは、四国霊場の開設など宗教上の功績は無論、「雨乞い」から「いろは歌」、「温泉の普及」など庶民の生死に深くかかわる功徳の故であろう。
四国には、空海の生誕地・善通寺の我拝師山など五岳をはじめ急峻な山が実に多い。名のある山は、たいてい花崗岩を基盤にして安山岩の層が積み重なり山頂付近に獄(断崖)を備える。山岳宗教から国家宗教への転換期に、宗教のありようを見つめながら、それらの山岳や海浜を山伏的修行の場とし、エネルギッシュな活動に明け暮れた空海。鍛錬された強靭な肉体から知恵の泉が溢れ出たことであろう。
空海は、唐から帰朝後も四国はむろん諸国を行脚し、ため池などの水利を拓き霊場を開設するなど庶民の生活に大きな影響を与えた。それらの功績の一つが四国88箇寺の開設である。
四国巡拝の風は千年以上日本人に受け継がれ、廃れることはなく、いまなお札所に巡拝者が絶える日はない。果てのない遍路の旅は、お大師さんと二人連れ。善通寺境内の松林に憩う人は遠来の遍路であろう。日焼けした顔にしばしの安堵が漂っている。菅笠に、白衣に同行二人と墨書して、野を行き山を越え、遍路の旅は続く。 |
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