|
|
来栖の地蔵−さぬき市来栖− |
|
讃岐の志度寺、長尾寺を経て、鴨部川(かべがわ)沿いをさかのぼり、阿讃山塊を越え四国遍路の結願札所「大窪寺」に至る遍路道は、難路中の難路である。とりわけ来栖(くるす)、譲波(ゆずりは)の集落から、奈落が見え隠れする女体山(標高763メートル)の頂上付近を通過して大窪寺に至る路は、よほど条件に恵まれた日でないと遭難のおそれすら脳裏をよぎる難コースが続いている。お大師さんは、木地師や修験者が行き交った道をあえて最後の遍路道とすることによって、結願の光明の大きさを教えておられる。チリン、チリン、かすかな鈴の音を残し遍路が女体山を越えてゆく。
来栖の少し手前の中津あたりから険しい遍路道がはじまる。近年、前山ダムができ遍路道も少し様子が変わったが、お地蔵さんが随分多い。さあもうひと踏ん張りと、励ましておられるようにみえる。いったい何体祀られているのであろうか。中津から来栖へと、さまざまな表情で野辺に佇んでおられる。お揃いの帽子にちょこんとリボンが結ばれている。のどかないい風景の向こうにお遍路さんの姿がうつろう。−平成15年5月− |
|
|
|