木村家住宅−三好郡東祖谷山村-,祖谷の粉ひき唄
木村家住宅 東祖谷山に釣井という地区がある。大きなケヤキのある山の斜面に「木村家住宅が建っている。
  木村家住宅は、屋敷の前面に割石を積み上げた門塀を備える住宅である。主家、隠居家、納屋などが南北に連なる農家住宅。主家は隣接する今井地区の士家を移築したものと伝えられる。祖谷山地方最古の棟札(元禄12年)が残る住宅である。 
 
 屋敷内のイチョウの大木は稀有である。住宅の建築から遠くない時期に植えられたものであろう。幹周りは10メートル近くもある。 気根の伸長具合は、県内の境目峠のイチョウに勝るほどよく発達している。祖谷山の自然環境などを考えると、家屋、イチョウともによくぞ今日まで保存されてきたものである。驚きを禁じえない。木村家住宅の近くで唐竿でそばを打つ人が1人、晩秋の陽を浴び農作業に余念がない。祖谷山もこの辺りにもなると訪れる人も少なく、ひっそりとしたしたものである。冬も近い。

祖谷の粉ひき唄

 祖谷山に‘祖谷の粉ひき唄’という民謡が伝わっている。民謡大会などでよく歌われる唄である。哀愁が漂う歌詞と節回しに魅せられ、この谷を訪れる人もまた多い。
 祖谷のかづら橋を過ぎ谷を遡るほどに、断崖を思わせる急峻な畑が見え隠れする。唄はかづら橋など祖谷の風物に人情をからませて、過酷な自然を生き抜く人々の哀愁と諦観をつづる。一節に、
 ♪祖谷の源内さんは
  稗の粉にむせた
  お茶がなかったりゃ
  むせ死ぬる
  なかったりゃなかったりゃ
  お茶が
  お茶がなかったりゃ
  むせ死ぬる♪ とある。
  悲しく、辛い西祖谷山に伝わるこの歌詞は万人のこころをとらえてはなさない。この歌詞ゆえに祖谷のいまを尋ねる人もまた多い。交通網が整備され昔日の観なしとしないがやっぱり祖谷山は日本のふるさとを感じさせる。源平の落人が共存し得たという山岳は祖谷山を除いてあるまい。厳しい自然と生活が憎しみをも消し去ったのだ。
 歌中に‘むせ死ぬる’が二度ある。都はるみの音源で‘祖谷の粉ひき唄’をきいた。都はるみは‘むせしぬる’を‘むせしねる’とうたっている。‘むせしぬる’はむせて死ぬというほどの意味で今でも四国、中国地方の一部地域の古老が使用する。一方、‘むせしねる’は死ねるのになあという願いをにじませている。粉ひき唄の歌詞は祖谷の地域によって少々異なるようであるが、粉ひきが嫁の夜なべ作業であった時代背景をおもうとやっぱり‘むせしねる’に祖谷山の生活をおもうことができまいか。
 祖谷の粉ひき唄は昭和30年代のころから随分多くの歌手によって歌われ今に至っている。うたは声量だけけではない。都はるみの陰影のあるよい節回しによって投影される祖谷山の粉ひきの情感のふかさにききいってしまった。−平成15年11月−