塩飽諸島(高見島)-仲多度郡多度津町-
  高見島は、多度津港からフェリーで25分。周囲7キロメートルほどの南北に長い島である(写真左)。塩飽諸島のほぼ中央に位置し、タイやハマチの養殖や花の栽培が盛んな島。藩政期には千石船が往来し、塩飽人名制度のもとで繁栄したところ。江戸期(宝暦年間)に製作され島の八幡宮に奉献された千石船の模型が多度津資料館に展示されている。
 高見島の高峰・竜王山(標高297メートル)は、塩飽諸島最高峰の山。どっしりとしたビュートを海原に映す。フェリーから山を眺めると、頂上が少し平らになった台形の形をしていて、小豆島の皇踏山や高松の勝賀山に山容が似ている。花崗岩の基盤に集塊岩が乗り、最上部が安山岩で覆われた山である。
 竜王山の山塊は海岸線に迫り、海と山との僅かな間隙に道路が通る。道ばたに一体、また一体と石仏が祀られている。穏やかな笑顔して海岸で或いは山すそで微笑んでおられる。高見島もまた、お四国さんの盛んな島である。
 竜王山は、島の水利を司る神の宿る山。頂上近くに竜王宮の祠がある。島の浦という集落から急斜面に刻まれた参道をいくと、鬱蒼とした樹林の境内にカゴノキ、シロダモ、ヤブニッケイなどの喬木が茂る。ほの暗くひんやりとした荘厳さが漂う樹林のもとに竜王宮はある。10日ほど前に知り合いを案内して竜王さんに参拝しました、という浜で出会ったご婦人は80歳という。島の人は健脚である。
  高見島の集落は、北から「板持」、「浦」、「浜」の3集落。近年、板持集落はほとんど住む人がいなくなり、100人余の島民は浜、浦の両集落で暮らす。
  浦集落は、遠目にはほとんど絶壁にみえる急傾斜地に石垣を階段状に積みあげ、細い路地が巡る。石垣を食い違いに積み、その間に玄関に通ずる階段が設けてある。島の地形への配慮であろう。乱積みの石垣と民家が見事に調和している。急坂に建つ民家と民家の隙間にきらきらと輝く瀬戸内海がみえる。
  高見島は、隣島の左柳島とともに全国的にも珍しい埋め墓と参り墓の両墓制の風習が残る島。両墓は浜、浦の両集落にある。
  高見島は、水道はむろん電気、ガスなども整った島。水は島と四国本土との間に 送水管が敷設され受水する。島は今、激しい過疎化に見舞われている。  「むかし除虫菊を栽培していました。最盛期には60ヘクタールもありました。開花すると山が真っ白になるほど作っていました。スプレー式の殺虫剤が普及してやめてしまいました。」と島の人。
  フェリーの桟橋は、海水浴の家族連れや釣客で賑わっている。民宿が島に3軒ある。食料品店は閉鎖されており、食料の用意が必要である。-平成16年7月-