石手寺−松山市
   伊予の秋、石手の寺の香盤に海の色して立つ煙かな
                       <与謝野晶子>
  石手寺の王門をくぐると、寺は堂塔に立ちのぼる香煙の中にある。寺は四国88箇所第51番札所。本堂、大師堂、三重塔、鐘楼に護摩堂など日本の代表的な寺院建築物が見事に残る古刹である。
  本堂や大師堂を巡る夫婦連れは遠来の巡礼者であろう。経をあげいつまでも深々と額づく後姿に香煙が漂う。
  石手寺は、8世紀初頭、伊予太守・越智氏によって創建され、もともと安養寺(法相宗)と称していたが、弘法大師によって真言宗に改宗。寺名は、石手寺と改称された。このいきさつについて、越智氏の系譜とされる河野氏が関わる寺伝がある。門前の説明板などを参照されるとよい。
  寺は、秀吉の侵攻まで実に500年間、伊予守・河野氏の熱烈な加護のもとで隆盛を極めた。河野道直は 秀吉の家臣・小早川隆景に湯月城を追われ高野山に逃れている。これもまた河野氏と石手寺(弘法大師)との深い縁からであろう。
 梅雨空にもかかわらず、石手寺に参詣者が絶えることはない。 
    ○南無大師石手の寺よ稲の花 
    ○見上ぐれば塔の高さよ秋の空  <子規> 
        今日はどんよりと曇っている。 
    ○香煙に塔がなきおり梅雨の寺  <芳月>
竜光寺−三間町−
 稲荷山竜光寺は、三間町のほぼ中央部の小高い山の山腹に建っている。境内から町を眺めると、門前の家並み越しに三間平野がのぞいている。寺は、四国88箇所41番札所。本尊は十一面観世音菩薩。
  土地の人々は、親しみを込め寺を「お稲荷さん」と呼ぶ。もともと寺は、稲荷神社と並存した神仏混交の寺だった。「お稲荷さん」はその名残り。寺縁起は、「密教の叱枳尼真天は狐が神格されたものといわれ、稲荷神と叱枳尼真天が同一視され神仏が習合されるようになった」と説いている。稲荷神が同居する混交寺は珍しい。お稲荷さんを五穀豊穣の神として崇め、いまなお神仏混交の風が残る三間の霊地に、人々の豊穣への祈りが感じとれる。−平成15年8月−
 仏木寺−三間町−
 竜光寺からひたすら稲田を歩き、山裾の遍路道を辿ると仏木寺に至る。寺は四国88箇所42番札所。本尊は大日如来。木造の寄木造りで板光背がある。四国では珍しい造りである。  道路端に建つ立派な仁王門は霊場へのいざないの門。境内に清々しい香煙が漂っている。土地の人に混じって巡拝者が一人二人、堂宇を巡りお札を納める姿がみえる。幾百年も変わらない風景が境内に静かに移ろってゆく。
  仏木寺を後にして、門前の一本道を北方向に向かうと歯長峠に至る。西方に長くのびる高森山(標高635メートル)の左手に法花津湾が霞んでみえている。−平成15年8月−