萩城下町−萩市堀内−
 萩は日本海岸の都市。町の中心部は、阿武川河口の三角州に発達している。萩人はよほどこの三角州を離れがたかったのか、関が原の戦に敗れて中国8国112万石の大大名から周防・長門2州36万石に削封された毛利輝元が、慶長9(1604)年、アシ原に城を築いてから約400年間、文久3(1863)年に藩庁が山口に移っても今日まで町割りや屋敷地を頑なに守り通してきた。
 萩城から疎水を隔てた東側一帯は、家老や上級藩士が住まいした堀内地区(写真下)。通りに面して物見矢倉を備える萩藩家老益田家旧宅や周布家旧宅の長屋門が建ち、屋敷周りを土塀や石垣がめぐる。武家屋敷町がこれほどの広がりをもって現存するところとしてはそう多くはない。通りに凛とした雰囲気が漂っている。
 益田家旧宅のさらに東側一帯は、高杉晋作、木戸孝允など明治維新の志士の生誕地や菊屋家などの町屋がよく保存されていて城下町らしさが感じられるところ。通りに、江戸屋横丁、伊勢屋横丁、菊屋横丁などの名称がある。公開されている旧宅も多く、萩城下の散策に飽きることはない。−平成19年2月−

木戸孝允生誕地 高杉晋作生誕地
堀内地区