クロガネモチ−広島市−
 節句が過ぎ日中の気温が上がりはじめると広島城はクロガネモチの花見のちょっとした人気スポットになっている。正確には花見ではなくクロガネモチの赤い実を観賞するわけであるが、赤く色づき鈴なりになった実は遠目には花が咲いたようにみえる。
 休日の昼下がり、クロガネモチの樹下で車座になって花見をする人がいる。傍らで大本営址の礎石が白い光りを放っている。
 この広島城内のクロガネモチは日本で一番重い過去を背負った樹木だ。昭和20年8月6日、広島に投下された原爆の被爆樹木である。
 息を吹き返しかえした樹木は、一抱えほどの大樹に成長し樹勢もさかんである。樹皮は白っぽく老いてはいるが大樹は懸命に立っている。大樹の周りに数本のクロガネモチがある。
 堀端ではマルバヤナギの芽がわずかにほころび、ユーカリが細く長い枝葉を水面に映す。マルバヤナギもユーカリも被爆樹木である。ユーカリの根元に今なお原爆の焼痕が残る。樹木も懸命に生きている。−平成19年2月− 
 縮景園−広島市中区−
縮景園 縮景園は、浅野藩初代藩主長晟が元和6年(1620年)に創設した廻遊式庭園。御泉水とも呼ばれ、大名庭園の好例といわれる。作庭に当たったのは家老で茶人の上田宗箇である。
 昭和20年、縮景園は原爆で破壊され、避難してきた多くの人々がここで息絶えた。園内に慰霊碑がある。
 庭園は戦後、復元され旧観に近づいたといわれる。中央の濯えい地に島しょを配し、中国風のここう橋(石造)を架け、濯えい地が二分されている。庭の東と北に築山、西方に馬場があり、池周りの各所に亭館がある。清風館から庭園のほぼ全貌が大観できる。一般公開されている。
 近年、梅、桜の季節には花見をする人で賑わい、新郎新婦が園内で記念撮影する姿もしばしば目にするようになった。庶民的で四角張らないよい雰囲気もあるよい庭園である。−平成18年4月−