宝福寺−総社市井尻野−
宝福寺 高梁川の流域に総社市という町がある。古代吉備国の枢要部の町である。この町に宝福寺という禅宗の巨刹がある。寂とした境内に、仏殿、方丈、経蔵など禅宗様の七堂伽藍が鎮まっている。境内の小高いところに三重塔が建っている。室町中期の特徴をとどめる美しい塔である。
 寺のある井山は、お四国さんのミニ巡拝地があるところ。霊地を石仏であらわしている。のんびりとした田園の情緒が漂い、ため池や農業用水路にカワセミの姿がみえる。立春が過ぎ寺の境内でウグイスが鳴きはじめ、方丈のかえでの梢にヤマガラやキビタキが往来する。幾百年も変わらない山寺の早春の風景がある。
 総社は雪舟の生誕地。12歳のとき入山した雪舟は、経を習わぬ小僧であったらしく方丈の柱に縛られることがあった。方丈の板敷きに落ちた涙でねずみの絵を描いたという伝説がある。
 雪舟は画聖と称される人。自然を描写する画風は4世紀の中国で生じたが、雪舟は中国風の山水を最初に描いた人である。宗教色を払拭し、題詩のある詩画軸を描くことは少なかった。明に渡り宋元の山水画を学んだ雪舟にして初めて絵画としての山水画が意識されるようになったのだろう。各地を漂泊し、山水画を描き続けた雪舟であったが、当時山水画は山水に臨む庵などが描かれ実景が描かれることは少なかった。
 雪舟の晩年の作に有名な天橋立図という実景を描いた絵がある。山水に実景が描かれたという珍しさは無論、南北を逆転させ描いた発想の新鮮さがある。地図などでは太平洋は南(下)、日本海を北(上)に描くのであるが、雪舟は南北を逆にして天橋立の鳥瞰図(天橋立図)を描いたのである。10年ほど前、富山県土木部かと思うが南北を逆にして環日本海地図がつくられたことがあった。視点を変えることによって注目度も逆転するという着想を私たちはなかなか持ち得なかった。雪舟はいとも簡単に衆人の目を鳥瞰図にくぎづけにさせたのである。宝福寺は雪舟を思うのによいところである。−平成19年2月−

雪舟