倉敷の町並み(美観地区)−倉敷市−
倉敷 倉敷川畔などに土蔵造りの美しい町並みが倉敷。数十棟はある白壁と貼瓦の黒とが織りなす美観の街である。
 この町の人々の古風で日本的な建築物への誇りと保存への情熱は、敗戦によって打ちひしがれ、家族制度や土地制度など何もかも変わり、私たちが失いかけた民族意識をも再び呼び覚ますものではなかったか。戦後、まもなくはじまった倉敷の建築物の保存活動は、昨今の町並み保存のさきがけでもあった。
 倉敷は戦国時代から始まった干拓によってしだいに市街が拡張され、江戸時代になると関東御蔵入りの米の積出港として蔵屋敷が建ち並ぶ都市へと発展した。天領の気品と財力によって培われた豪商の佇まいは、いまなお倉敷の繁栄を髣髴とさせるものがある。昭和28年、倉敷はイギリスの詩人ブランデンなどにより紹介され訪れる外国人も多い。 
 倉敷はまた、その立地のよさから明治20年、紡績会社が設立され岡山の近代化の牽引車となったところ。美観地区の倉敷代官所跡近くにレンガ造りの発祥工場(写真右下)が残っている。違和感もなく古い町並みに溶け込んでいる。昭和5年、開館というギリシャ神殿風の大原美術館はこの古い町並みの一角にある。グレコ、ルノアール、ロダン、ピカソ、ルオー、ロートレックなどの作品を所蔵する。グレコの受胎告知など16、7世紀の古典絵画が少ない日本では異色の美術館である。−平成19年1月−

倉敷市街 倉紡発祥
工場(明治
22年建築)