御幸橋の記憶−広島市中区・南区−
 御幸橋は、京橋川に架かる橋。広島の都心と宇品港を結ぶ幹線(現在の千田通り)に架かかる橋である。昭和6年に木橋からコンクリート橋に架け替えられ、平成2年には2度目の架け替えが行なわれた。
1913年(大正2年)ころの御幸橋
 御幸橋は戦争の歴史を伝える橋。平和の祈念橋である。日清・日露戦争や世界第一次・二次大戦が勃発すると、兵士はこの橋を渡り宇品港から戦地に発って行った。多くの兵士は、再び宇品の桟橋に立つことはなかった。
 昭和20年8月6日は、世界の人々が忘れられない日。広島に原爆が投下され、橋の袂で疎開作業中の中学生たちが被爆した。御幸橋西詰に女学生の被爆直後の写真が掲げてある。首をうな
橋の袂で被爆した疎開作業中
の中学生
だれ或いはぼんやりと道のかなたをみつめる姿は痛ましい。
 原爆によって瞬時に破壊された広島の都心。生き残った人々は、北へ或いは南へ逃げ、この橋の袂に辿りついた人も多かった。この橋を通って似島の救護所に向かった人々の多くは、島で息絶えた。広島は一瞬にして生き地獄と化したのである。一瞬のせん光が第二次被爆者を含め約20万人の人々の命を奪い、今なお原爆後遺障害で苦しむ人々がいる。御幸橋の袂の慰霊碑や追悼のモニュメントが悲しみの日をしるす。−平成18年5月−