国際貿易港に相応しい近代的な諸設備の整った広島港(宇品港)もそのはじめは苦難の出発であった。
明治22年(1889年)、当時の千田貞暁県令(官選知事)のもと築港反対運動や資金難、高潮被害などを乗り越えて宇品港は完成した。道路網整備の立ち遅れがたたり港の真価が発揮できず批判を受けたが、明治27年8月、日清戦争が勃発すると、広島駅と宇品港を結ぶ軍用鉄道(後、国鉄宇品線)が開通し、宇品港は一躍、脚光を浴びるようになった。旧広島港湾事務所庁舎(写真上)は、港勢が上向き始めた明治42年の建築。下見板張りの木造二階建て。 車寄せは切妻破風、柱に装飾が施してある。数少ない明治期の庁舎建築物。老朽化が著しいが当時の庁舎建築物として広島県下に残っているものは、三原市の旧南方村役場庁舎とこの旧広島港湾事務所くらいのものではなかろうか。大変貴重な建物である。 |