志賀直哉、中村健吉、柳原白蓮、河東碧梧桐、正岡子規、山口誓子など尾道にゆかりのある文人は多い。急な斜面に三十もの寺院と同居する尾道。高台から眼下をのぞむと因島、大三島、生口島など瀬戸内の島々が指呼の間にある。みなと尾道は、まことによい環境がある。
尾道のセンター街を歩けば、潮の匂いが漂い、数は減ったが魚を売る行商のリヤカーを見出すこともできる。尾道の町は、なんともゆるゆると時が過ぎる心地よさがある。
林芙美子はこの町で大正5(1916)年から6年間(13〜19才)暮らし尋常小学校、女学校に通い卒業している。女史の「放浪記」などで当時の生活の様子を垣間見ることができる。芙美子は出世作となった放浪記で自らの生活事情を赤裸に告白し、大正・昭和期の文壇に異彩を放った。
くだんの旧宅はその名も「芙美子」という喫茶店になっていて、その二階部分が旧宅。茶店の裏庭から飛び石伝いに旧宅に通ずる路がある。旧宅に入ると一間の小部屋に木机が置いてある。公開されているので見学できる。
芙美子はそこで大正6年から7年にかけ2年半、一時住いした。芙美子が市立第二尋常小学校(土堂小学校)、女学校に通った記念すべきところだ。志賀直哉や中村健吉の旧宅が坂のある山手なら、林芙美子の旧宅はセンター街の下町といったところか。
喫茶店に芙美子ゆかりのパネル写真なども展示してあるので、コーヒーを楽しみながら放浪記のことなど思ってみるのもよいだろう。−平成18年7月− |