因島の風景−尾道市因島重井町−
 除虫菊の花で瀬戸内海の島々が白く染まり、ミカンの花のよい香りが漂う海をゆく風情が消えて半世紀ほどにもなる。 除虫菊の花は、淡くせつなく旅愁を感じる花だった。船窓から眺めると、そのイメージが何倍にも増幅されたものだった。 蚊取り線香からスプレー式の殺虫剤の普及により、因島の春の景色は消えた。因島に三箇所ほどある除虫菊の栽培伝承畑は合わせても30アールにもなるまい。
 因島、生口島、大三島・・・と芸予叢島をのんびりと船旅をする楽しみも少し薄れてしまった。
 梅雨の頃、重井町の港近くの急斜面では、除虫菊の種取作業が行なわれている。
  因島では今、葉たばこの生産に活路を見出す農家がいる。最盛期に葉たばこの平均作付面積は二反であったが、いまはその十倍、二町歩にもなるという。人口減が皮肉にも農家の規模拡大につながったというべきか。青々とした葉たばこ畑に淡いピンクの花が咲いている。よい風景である。−平成18年6月−
酒蔵のまち西条−東広島市西条本町−
 西条は、古代から栄えた古い町である。標高200メートルほどの盆地の南に、県下最大規模の三ツ城古墳が所在し安芸の国造級の豪族がこの地で威を示し、盆地の北には安芸国分寺の古跡が所在し、奈良時代に下っても西城が安芸の中心地であることに変わりはなかった。筑紫に通ずる山陽道も西城盆地を縦貫し、西城の歴史に厚みが加わり、藩政期には本陣(お茶屋)が置かれた町である。 西城はまた水の美味しいところ。山越え川越え、山陽道の宿場であった西条にたどりつき旅装をといた旅人は、おいしい水と酒に酔いしれたことであろう。しかし、西城の酒が広く知られるようになったのは明治以降であるようだ。甘口で知られる西条の酒は軟水から産まれる。硬質系の水から産まれる先進地の醸造法を改良し、軟水用の改良醸造法が適用された時、西条の酒は一層よく知られるようになり、いまその生産高は日本屈指となったのである。
 白壁になまこ壁、赤瓦の屋根、軒下に杉玉をかけ、レンガ造りの煙突が酒蔵の所在を告げている。JR西条駅周辺に醸造所が集中し、8銘柄の酒を産し、伏見や灘などとともに長い造酒の歴史を刻んでいる。
 初夏の日、醸造所の高い煙突の下で、保育所の運動会が行なわれている。歓声が煙突伝いに青空に消えてゆくようだ。−平成18年6月−