沖永良部
 木陰の風景−ガジュマルー沖永良部島和泊町
ガジュマロ ガジュマロは、奄美諸島から屋久島・種子島などの薩南諸島一帯でよく見かける樹木である。
 沖永良部島の北東地区に、国頭(くにがみ)集落があり、小学校の校庭でガジュマロの大木が茂っている。手入れの行き届いた端正なこの木の枝振りは稀有である。
 ガジュマロの枝は放って置けば奔放に伸びる。ガジュマロの成長は早く、カズラのように絡みつき、ガジュマロに抱かれるようにして枯死した樹木もしばしばみかける。国頭のガジュマロは、小学校卒業の記念樹として植えられ、盆栽のように大事に手入れされ、いつの間にか100年の歳月が流れ、幹周り8メートル、枝振りの直径22メートルの巨大な日傘のようになり、日本のガジュマロの頂点に立つ固体に成長した。ガジュマロが地面に落とす木陰もまた巨大である。国頭小学校の在校児童が最も多かった昭和40年代のころ、樹下に350人の児童を包み込んだという。ガジュマロの木陰のある学び舎は、島を離れた人々の故郷の原風景として脳裏に深く刻まれていることであろう。−平成15年−
ガジュマロ(種子島)
国頭のガジュマロ ガジュマロの大樹
(種子島)

 慟哭の海岸(フーチャ)-沖永良部島和泊町-
フーチャ(侵食洞穴) 沖永良島の北東部の端に、海水に蝕まれちじれた岩が累々と連なる海岸がある。シナ海の荒波は、容赦なくサンゴ礁を侵食し、フーチャ(侵食洞穴)を造形する。荒涼としたグレーの奇観が延々と続く。
 島が台風に襲来すると、フーチャから数十メートルの水柱が吹き上がり天を突く。水柱は雲霧となって背後の畑を襲う。かつてフーチャは海岸線の方々に見かけられたが、塩害予防のため大方潰されたようである。
 フーチャをつくる海岸線は、シナ海の荒波をもろに受け易いこの島の細長い地形とも多分に関係がある。波静かな日、海岸に立つと、荒涼としたグレーの彼方から蛇皮線姿の唄者(ウタシャ)の姿が浮かび、島唄が聞こえる錯覚をおぼえる。−平成15年−

 琉球残影(世之主墓)−沖永良部島和泊町
世之主の墓 沖永良島の和泊の小高い山に登ると、与論島を隔て沖縄の島影が見える。沖永良島は与論島とともに、琉球三王朝の一つ北山朝の世之主(せのぬし。島主)によって統治された時期があった。山の中腹に、15世紀初頭に造られた琉球式の立派な世之主のトウール墓がある。二重の石門で囲まれた墓所の最奥に、サンゴ礁の岩をくり貫いて造られた横穴式の納骨堂が設けられている。戸板越しにみると、大きな骨壷が三つ並び丁重に祀られている。王、妃、嫡子の壷であるらしい。センダン、ソテツが茂る石門の庭で折々に宴が催されたという。トウール墓は、世之主の母国・琉球の残影。沖永良部の遠い日のよすがを伝える。−平成15年−