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大分 |
豆田町の風景−日田市豆田町− |
九州の山中に日田という町がある。その町に豆田町という古色が漂う町がある。ナマコ壁や格子窓の商家や漆喰の大壁に袖壁のうだつをあげた商家もある。屋並の上は電柱、電線など遮るものが少なく、青い空がのぞいている。
日傘を差して立ち止まり、またのんびりと町どおりを行く者は遠来の旅人であろう。この稀有な町どおりは、私たちが失ってしまった懐かしい空間に満ちている。
日田は、江戸期に天領として栄えたところ。九州六国に通ずる日田往還は、九州の政治経済を統括監視する役目を負った西国郡代の威光
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咸宜園(秋風庵) |
の象徴だった。本陣が置かれ、地理的にも至上の利がある宿場町としても大いに栄えることになったのである。例年1月に催される日田代官所での年賀式には、九州一円の上代家老が参集した。
廣瀬淡窓が私塾・咸宜園を開塾したのは、文化二年(1805年)だった。閉塾となった明治30年(1897年)に至るまで、約90年にわたり日田は著名な私塾の所在地であり続けた。全国68ヶ国中66ヶ国から約4800人が入門したという。高野長英や大村益次郎も咸宜園で学んでいる。このような日田の町は、少なからず人々の憧れとなっていたことであろう。 |
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