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「外堀は田にすきかえされ 内堀は年毎にあせて 二百年の名残りやなに 水草いる辺に槁杭朽ちて 野菊咲くかげ石ずえ残る 一の木戸か 二の木戸か あなあわれ」 <滝廉太郎>
詩情豊かに謳いあげた滝廉太郎18歳の詩文である。父・吉弘に連れられ、東京から竹田に転居してきたのは明治24年、廉太郎12歳のときだった。もともと父・吉弘は岡藩の家老職を務めた人。維新後は東京で官吏をしていたのであるが、直入郡長に任命されいわば里帰りを果たしたのであろう。当時、郡長は、国の官吏として市町村を束ねる要職にあり、郡議会も設置されていた。 JR豊後竹田駅から稲葉川を渡り市街に入ると、静かな住宅地に廉太郎家族が仮寓した屋敷(写真左)が残っていて、記念館になっている。十六羅漢のある岩山や愛染堂の坂道、少し足をのばせば岡城址がある。岡城の松籟を聞き、清らかな水路の水音を聞き、廉太郎は多感な少年時代を過ごしたのである。
青年になり病を得た廉太郎が静養の日々を送ったのも思い出の詰まった竹田だった。療養むなしく逝去。享年23歳。名曲荒城の月は岡城の思い出をつづったものとされている。 |
夜をこめて水が流れる秋の宿 <山頭火> |
竹田は水の湧く町。縦横に街中を水路が巡る。稲葉川、緒方川、白滝川の清流が町を潤し、水路にかかる石橋の美しい町。河宇田湧水、泉水湧水、長小野湧水、矢原湧水などやこの地方特有の分水施設(井路)がある(写真は音無井路)。
版画家の秋山巌氏は、竹田市の出身。市内に秋山巌版画館(但馬屋老舗2F)がある。 |
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愛染堂への坂道 |
十六羅漢 |
秋山巌版画館 |
市街 |
隠れキリシタン岩屋 |
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