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長崎 |
島原城−島原市− |
島原城は築城の名手と謳われた松倉豊後守重政の築城。重政は小倉城、唐津城などの縄張りを行なった人だった。奈良五条の2万石から肥前島原4万石に移封された重政が行なった島原城の縄張りは、周囲4キロメートルの外郭に堀をめぐらせ、7つの城門を備える連郭式平城で10万石相当の大名に許される城だった。天守閣は安土桃山式。その辺りに重政は島原城をルソン攻撃の根城としたのではないかといわれる所以がある。4万石の大名に不相応な城だった。そうした重政の思惑が農漁民に対する重税となって後に島原の乱を誘発することになるのである。
いま雲仙普賢岳の麓で天守閣が天を衝いている。島原城はまことに雄大な城である。−平成18年3月− |
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