九州絶佳選
長崎
丸山界隈−長崎市−
 ・・・行こか戻ろか 橋立なぎさ いとし宮津の灯が招く・・・<京都・宮津節>
 長崎の丸山界隈にも、行こか戻ろか思案橋といわれた、なんとも悩み深い橋があった。今は姿を消した思案橋を渡ると、丸山の歓楽街があった。江戸の吉原、京の島原とともに長崎の丸山町は、幕府公認の歓楽街だった。大阪商人らで賑わい、井原西鶴に、「長崎に丸山という所なくば、上方の金銀無事に帰宅すべし」といわしめ、全盛期の元禄年間には、妓楼が百軒、遊女が約千四百人いたという。頼山陽も竜馬も晋作もカピタンも訪れた丸山は、欧州にも知られた花街だった。
 いま丸山町をゆくと、花街を囲った高い石垣や長崎検番、茶屋・花月などが往時を偲ばせている。丸山町で最も古い妓楼引田屋の庭に建てられたという花月には、竜馬が切りつけたという刀傷のある柱などが残っている。