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長崎 |
グラバー園−長崎市− |
梅雨の昼時、長雨がオランダ坂の石畳を濡らし、石畳のうえをチャペルの微かな鐘の音が流れてゆく。
江戸期における長崎は欧州に開かれた我が国の唯一の開港だった。長崎の400年の歴史は、オランダ坂の石畳或いは眼鏡橋を育み、遠くローマの残影をいまなお中島川に映している。
グラバー園の丘に立つと、眼下の長崎の町に欧州の港町の風情を感じ取ることができるのは、今日なお欧州の建築文化が長崎の人々によって大事に受け継がれているからであろう。異郷の雰囲気が漂う景観がある。
グラバー園は洋館村。グラバー邸の周りに、旧ウオ―カー邸、旧リンガー邸など長崎の山手一帯に散在していた洋館が移築されている。グラバー邸は、現存する日本最古の洋風住宅。トーマス・ブレーク・グラバーが1863年(文久3年)に建築したもの。グラバーは、政商であり日本の開国の功労者だった。薩長に武器を売り巨利を得つつ伊藤博文、井上馨などの手引きをして、英国留学の道をつくるなどした功労者である。夫人はよく知られたお蝶夫人(つる)と呼ばれた人である。 |
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