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長崎 |
対馬・武家屋敷−対馬市厳原町− |
対馬は九州本土と朝鮮半島との中間の海域にあるという国境の宿命をいつも背負ってきた島である。
白村江の戦(7世紀)、二度にわたる元寇(13世紀)、近世では対馬事件(19世紀)など国家の存立が脅かされるような脅威を飲み込んで、大きな犠牲を払い続けてきた島。
我が国の古代も中世も、近世も現代も対馬なくして語ることができない。厳原は対馬の東海岸にあって、その南部で湾口を開いている。宗氏10万石の府中として発展した。馬場筋の大通り(国道382号線)は、宗氏の家臣団が屋敷の軒を連ねたところである。石を積み漆喰で塗り込め、要塞のような高い塀が、あたりを威圧して藩政時代の面影をとどめている。
馬場筋に面し、長屋門を備えた武家屋敷は、対馬藩家老・氏江家の屋敷跡。堂々とした立派な長屋門に、対李氏朝鮮との外交窓口となった宗氏一族の誇りが感じとれる。朝鮮通信使の来日に当たっては、対馬藩宗氏が護衛して参府するなど、倭館の経営のみならず外交上、大きな役割を果たしたのだった。−平成18年3月− |
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