九州絶佳選
長崎
対馬・木坂の風景−対馬市峰町−
海神神社 上代から近代に至るまで、我が国の文化は、琉球、薩摩を経て南方から流入するか或いは壱岐・対馬を経て朝鮮半島乃至は中国大陸から流入した。対馬は後者の渡海のルート上にある国境の島である。韓国まで約50キロメートル、晴れた日には釜山の町や韓国の山並みを望むことができる。
 朝鮮半島の政治状況によって、渡海のルートに多少の変動はあったものの対馬は海上交通史上、常に注目され続けた島である。そうした地理的、外交政策的にも重要度の高い対馬は、壱岐とともにしばしば外国の侵略に晒され、悲しい歴史が刻まれたときもあった。刀伊の入冦、元寇、対馬事件などによって島は蹂躙され、有事に晒され続けてきたのである。
 対馬にはずいぶん神社が多い。浦々の社はみな古色が漂っている。大陸への海路上にある対馬は、上代、古代における海人族のホームグランドであったのだろう。
 峰町の西海岸に木坂という在所がある。三根湾の北岸に当たるところで、海浜に海神かいじん神社という神社がある。豊玉姫命を祀る延喜式の名神大社に列せられた古社だ。和多都美わたつみ神社と呼ばれ神功皇后の旗八流れを収めた社と伝えられ、新羅仏、高麗鏡、銅矛など所有の宝物は多く、古社の風格を示している。対馬の一宮。明治4年に今の海神神社に改名されている。
 木坂の前面に朝鮮海峡(西水道)が横たわる。浅茅湾を出て島沿いに北上し大陸に向かう人々は、社の沖合いで航海の安全を社に祈ったことであろう。
 木坂は対馬の西のはずれにあって、こじんまりとした静かな集落である。海岸の岩盤に刻まれた漣痕(れんこん)は、太古の海底の波紋の化石。かなりの規模がある。海岸に容赦なく季節風が吹きつける。瀬戸内海の女木島のオーテ(防風石垣)ほど高くはないが、家周りに石垣がめぐる。家が石垣に隠れるようにして静まる景観は、対馬の風土の厳しさを示すもの。海神神社の鳥居前で、満開の菜の花が対馬の風に揺れている。−平成18年3月−
海神神社参道 木坂集落

三根湾

漣痕