META name="keywords" content="阿弥陀堂,串木野市">
 阿弥陀の風景-串木野市-
阿弥陀堂 串木野市に西嶽という山があり、山腹に阿弥陀堂が建っている。東シナ海を背にして参道を行くと、ひっそりとした木陰に阿弥陀堂が建っている。堂の東側は断崖になっていて、東シナ海が広がる。
 極楽、西方浄土へのいざないに申し分のないロケーションで、阿弥陀さんが静かに座っておられる。阿弥陀さんの整った姿もいいが、装束をみるがよい。帽子を被りハンテンを着て、襟巻きまでしておられる。衣類はみな阿弥陀さんへの熱い想いから庶民が喜捨したものであろう。「すまん、すまん」と仰りながら微笑んでおられる。

坊津−川辺郡坊津町−
坊津港 枕崎から国道226号線を西に行くと耳取峠にさしかかる。峠の向こうは坊津。東シナ海に開けたリアス式海岸に、くねくねとした地形に浦が開けみな良港をなしている。坊、泊、久志、秋目の浦を行くと野間半島にいたる。浦々の間隙に突きでた半島は天然の要害をなし、紺碧の海がひろがり崖下で白波がはじけている。
 坊津は古代の貿易港として栄えたところ。博多ノ津、伊勢ノ津とともに日本の三津であった。
 奈良時代、白村江の戦で日本が唐新羅の連合軍に大敗すると、百済経由の渡海ルートは閉ざされ、第7回(702年)目の遣唐使船以降、南島路をとるようになると坊津は、唐の湊とも呼ばれるようになり、大いに栄えた。坊津の秋目浦は、唐の僧、鑑真が5度の失敗にもめげず12年の歳月を費やして日本に辿り着き上陸を果たした湊である。藩政期には薩摩藩の南方航路の貿易拠点として栄えたが、坊津は今、南薩摩の静かな一漁村となった。風光を愛で、歴史民俗資料館などを尋ねるとよい。