枕崎から国道226号線を西に行くと耳取峠にさしかかる。峠の向こうは坊津。東シナ海に開けたリアス式海岸に、くねくねとした地形に浦が開けみな良港をなしている。坊、泊、久志、秋目の浦を行くと野間半島にいたる。浦々の間隙に突きでた半島は天然の要害をなし、紺碧の海がひろがり崖下で白波がはじけている。
坊津は古代の貿易港として栄えたところ。博多ノ津、伊勢ノ津とともに日本の三津であった。
奈良時代、白村江の戦で日本が唐新羅の連合軍に大敗すると、百済経由の渡海ルートは閉ざされ、第7回(702年)目の遣唐使船以降、南島路をとるようになると坊津は、唐の湊とも呼ばれるようになり、大いに栄えた。坊津の秋目浦は、唐の僧、鑑真が5度の失敗にもめげず12年の歳月を費やして日本に辿り着き上陸を果たした湊である。藩政期には薩摩藩の南方航路の貿易拠点として栄えたが、坊津は今、南薩摩の静かな一漁村となった。風光を愛で、歴史民俗資料館などを尋ねるとよい。 |