「花尾山」は、鹿児島市街から北西に約20キロメートルほどのところにある。標高540メートル。よく晴れた秋の日、鉢を伏せたように整った山の麓に赤い鳥居がみえる。厚地集落を右手にみて、このあたりから眺める花尾山が一等美しい。
厚地集落に「花尾神社」や「かくれ念仏洞」などがあって、この地を訪れる人も少なくない。花尾神社は島津藩ゆかりの神社であるが、一方のかくれ念仏洞(写真右下)は島津藩の禁制に抗して洞窟で300年間、信仰を貫いた門徒の人々の旧蹟である。歴史の皮肉が相同居する谷あいの集落の彼方から平和の鐘が聞こえてくるようである。
花尾神社の社殿は、江戸期に建立された日光東照宮と同じ権現造り。社殿の彫刻や装飾は精緻で極彩色に塗られている。、天井の格子絵は越中の瑞龍寺の植物画を想起させる。薩摩の山中にこのような高尚な工芸美術が花開いたのは、島津忠久公の生母、丹後局の墓所が当地に築かれたことによるものであるらしい。境内に丹後局の墓所がある。
細川ガラシャ夫人や鎌倉に下向した足利尊氏の生母・上杉清子、そして丹後局も土地の人に伺うとやはり京都・丹後から下向した人とのことである。中世〜近世において京都の北部地方の女性はなかなか聡明な人が多かったようである。 |