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福岡 |
大保原古戦場−小郡市− |
小郡市の中央部を宝満川(写真)が南北に貫流する。筑後の大穀倉地帯を成している。
かつてこの豊かな土地で戦闘があり、戦死傷者約二万五千人という未曾有の惨事があった。戦いは宝満川を挟む流域の平野で展開された。世にいう大保原(おおほばる)合戦である。
時に天正14年(1359年)、北朝軍6万、南朝軍4万、北朝軍は小弐頼尚・大友連合軍、南朝軍は懐良親王・菊地武光軍があいまみえた。南朝軍が勝利し、懐良親王を奉じて大宰府に征西府が置かれ、以来十数年間、九州支配の中枢となる。
このころ全国的に南朝方が衰退するなかで、九州においてのみ南朝方が大いに気をはき命脈を保ち、南朝方による施政が行なわれたのである。
大保原古戦場の石碑(市役所の隣)が前伏に建っている。市内には、懐良征西将軍が負傷快癒に感謝して奉納したと伝えられる将軍藤(大中臣神社)や善風塚などの大保原合戦縁の故地などがある。 |
大保原古戦場石碑 |
将軍藤(大中臣神社) |
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