きじ車をこよなく愛した白秋。父が恋しい、母が恋しいという子の雉子は、白秋自身であったに違いない。万感の思いを胸に、白秋はきじ車の思い出をこのように詠ったのである。
柳川の川下りのドンコ舟の船着場に建っている松月文人館や白秋の生家にきじ車が展示されている。きじ車には大小さまざまなものがあって、幼児が木馬のようにしてまたがって遊ぶこともあったのだろう。きじ車には、その単純な形になんともいえない暖かさがある。良い玩具である。
きじ車は、もともと山門郡瀬高町にある清水寺参拝の土産品として売られてきた経緯がある。伝教大師が清水山に登られる際、降り立って先導したという故事にちなんだもの。文政年間のころに、清水寺の住職隆安法印が里人に作らせたのが最初という。
冒頭の親子の雉子の写真は、清水寺の参拝道に建つきじ車製作所の看板である。きじ車は、いまなお玩具或いは慶事の贈答品として根強い人気がある。
色鮮やかなきじ車には、美しく、素朴な味わいがある。−平成17年−
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