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福岡 |
秋月残照-甘木市- |
筑後川の支流・小石原川の最上流域に秋月という静かな城下町がある。もともと平安期に拓かれた筥崎宮の荘園で、そのころすでに「秋月荘」というなんとも響きのよい美しい名が付いていた。古処山など三方を山で覆われた天嶮の要害を成すアキヅキは、美しい要害(天然の城)に囲まれところ、という意味が隠された土地であろうか。ともあれ秋月は、鎌倉時代から明治維新に至るまで、630年余の間、秋月(原田)、黒田両氏の城下町として栄えたところ。豊臣秀吉の侵攻を受け、1578年(文禄15年)、秋月氏は日向の高鍋に移封され、替わって黒田氏の城下となったが、戦禍により城下が破壊されることはなかった。攻めにくく落としにくいこじんまりとした秋月は、文化の花を育てる格好の土地であったのだろう。儒学者・原古処、1790年(寛政2年)世界で初めて種痘を行った秋月藩医・緒方春朔などを生んでいる。貝原益軒の妻で温良、婦女の鑑といわれた東軒は秋月の出である。益軒の「女大学」は東軒の代筆といわれるなど東軒との共著や代筆が多い。
原田氏の古処山城の遺物といわれる黒門(写真上)、黒田氏居館の長屋門、その門前の杉の馬場、武家屋敷等々…。坂の多い城下の屋敷や寺院に通ずる石垣や谷川に架かる眼鏡橋が古色を偲ばせ、シイの花が満山を黄金に染め、古処山の清水が春の野に微かな水音を奏でている。−平成17年5月− |
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