九州絶佳選
福岡
蘆城野−筑紫野市阿志岐−
珠匣たまくしげ蘆城あしきの川を今日見ては萬代までに忘らえめやも (万葉集 詠み人知らず)
 蘆城野は今の筑紫野市阿志岐の辺りかと思われる。大宰府に近く、駅家が置かれていた。北に宝満山、東に宮地岳を望む風光明媚なところである。
 蘆城野の駅家で官人たちが季節の風雅を楽しみ或いは送別の宴が開かれることもあった。天平2(730)年、大宰帥大伴旅人が大納言に任ぜられ大和に上るにあって、官人たちが送別の宴を催したのもこの駅家だった。一族の防人司佑大伴四綱が歌う。
月夜よし河音さやけしいざここに行くもかぬも遊びてかむ(万葉集 大伴四綱)
 京から遠く離れた筑紫の国で、去る者も残る者も万感の思いで集い、酔いしれたことであろう。四綱のこころは旅人をとらえて離さない。万葉集に送別歌は多いが、この駅家の送別歌こそ集中の白眉であろう。
 旅人は‘なかなかに人とあらずは酒壺になりてしかも酒に染みなむ’と歌ったくらい酒を好み、風雅を愛した人である。筑紫は一族の多くが配され居心地の良い日頃の爽快で鷹揚な態度とは裏腹に、無常観にさいなまれ存分に酔哭きした旅人がいたことであろう。それは藤原一族と距離を置き、沈んでゆく一族の将来を予感した棟梁旅人の淋しい旅立ちであったに違いない。
 稲田が広がるのびやかな蘆城野の景観は今も変わることはない。宝満川に架かる大官司橋のたもとに珠匣の歌碑がある。