九州絶佳選
福岡 四王寺山(大野山)-太宰府市、宇美町等-
大野山霧立ち渡る わが嘆く息嘯おきその風に霧立ちわたる
 <万葉集巻5—799山上憶良>
今もかも大城の山にほととぎす 嘆きとよむらむ我なけれども 
<万葉集巻8—1474大伴坂上郎女>
 四王寺山(標高410メートル)は大宰府の真北に聳える山。大城山或いは大野山とも呼ばれた山。この山は、白村江の戦で唐・新羅軍に大敗を喫し、その追撃によって太宰府の水城が破られる有事を想定して、西暦665年に築かれた朝鮮式山城・大野城が所在した山。山周りに総延長8キロメートルの土塁が回らされた。土塁、石塁、門址、倉庫址、井戸などの遺跡が残る。山上には四天王寺が建てられ、国防を祈った山だった。  四王寺山はまた、大宰府官人が朝な夕なに見上げ、幾多の思いを託する山であり続けた。憶良は旅人の妻大伴郎女の死を悼み、日本挽歌と称えられる長歌と反歌を贈っている。四王寺山にことよせ詠った・・・霧立ち渡る・・・の反歌が万葉集にみえる。億良は、大野山(四王寺山)にかかる霧は息嘯の風(霧)と詠った。旅人の心情をまことにうまく写している。歌に帥と国守、大伴家の首領と配下ほどの違いを越えたものが感じられる。旅人が筑紫に家持を同道したのも、憶良を家持の家庭教師にと頼む気持ちが旅人にあったのか、信頼の絆で両人は結ばれていたのだろう。大伴坂上郎女は旅人の異母妹。
 四王寺山頂から眺める眺望はまた格別のものがある。四周の山々の向こうに能古島、玄界島が見える。