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福岡 |
能古島−福岡市西区− |
能古島は周囲12キロメートル、人口800人ほどの博多湾に浮ぶ島である。市内の姪浜からフェリーで10分ほど。島周りは、海水浴場やリゾート施設などがある。島の北面は玄界灘。地の利を得て、新鮮な魚介を求め周年、人出が絶えない島である。
島はまた、那の津(博多)から大陸に向かう船舶交通の要衝にあるところから、外敵の侵攻にさらされやすく、刀伊の侵攻や元寇などでしばしば島は蹂躙され、7世紀には白村江において、日本軍が唐・新羅の連合軍に敗れると、海防の必要に迫られ、対馬や壱岐とともに防人が置かれたところ。万葉集に詠まれた也良崎は文献上、防人の配置が確認できる唯一の場所。故地に万葉歌碑(写真左下)が立っている。
沖つ鳥 鴨とふ船の帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ
<万葉集> |
也良崎は、島の最北端にある。玄海灘に向かって右手に志賀島、左手に糸島の唐泊がある。この辺りは季節風をもろに受けやすく、ミカンの園地は高さ5メートルにもなる椿の防風林で囲まれている。見上げるように高い防風林は壮観。
島の南海岸を歩くと集落の中に白鬚神社がある。例年、10月9日におくんちが行われる社である。集落の外れには元寇の役により戦死した蒙古兵の塚がある。
栄福寺の近くの山腹にある登り窯は、江戸時代中期に築造されたもの。半壊しているが、窯は全長22メートル、焼成室は7室もある大きな窯である。短期間で閉窯になり能古焼は幻の焼き物となっているようである。
島にはまた豊かな自然が残っている。探勝路が整備されているので散策するのもよい島である。
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防風林 |
白鬚神社のおくんち(説明版
より) |
蒙古塚 |
登り窯 |
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